エッセイ

京大オケその4

リハーサルが始まった。学生たちはすでに自分のパート譜を全部暗譜していて、私の方を瞬きもせずに見つめている。部屋の隅では真剣な表情をした学生数人がKGBのように録画・録音している。今日の私のテンポ・音楽づくりを向こう数ヶ月間徹底的にコピーし叩き込むためらしい。一生懸命指揮棒を見つめているわりには押しても引いてもプロのようには棒に即応できない彼らに、私は普段出さない(出す必要のない)指示を思い存分与えることにした。「体の芯がぶれているぞ。だからテンポも揺れるんだ。」「ヴァイオリン。弓を返すときに音をとぎらせるな。」「そこは指揮棒なんか見ずに、ヴィオラの首席の弓の動きに集中しろ。」彼らは死にもの狂いで喰いついてくる。知らないうちに、私たちは音楽の喜びを共有して一体となっていった。



合宿第一日目を終えて寝床に入ったものの、中々寝つけなかった。一日を順に思いかえしてみると、最初笑いがこみ上げてきた。リハーサルを終えて宿舎に戻ったとき、一軒家の中からドドドとお風呂にお湯をはる音が聞こえていた。驚いてのぞくと、指揮者の世話係だという新人の女子学生で、「あの−、お布団もお敷きしましょうか。」と言う。何しろ古くさい鏡台が置かれ、ただでさえ『四畳半襖の下張り』的雰囲気の家である。思わず赤面して、「僕不器用に見えても、湯加減を見たり布団を敷くぐらいは自分で出来るから大丈夫。心配しなくていいよ。」と遠回しながら一刻も早い退散をお願いすると、「困ります。他に何か出来ることないでしょうか。私のする事なくなります。」と半ベソになる。

食堂での夕食に出された『ケチャップ鍋』は文字通りケチャップがダシで具はソーセージと卵のみ。さすがに喉を通らず空腹のままで臨んだ『小松先生の歓迎大宴会』では、まず各セクションのリーダーが絶叫調で自分達のパートを紹介。「それでは『アワ踊り』をご覧に入れます。」とのアナウンスのあと、下着一枚の三人の男子学生がわざわざ窓の外から飛び込んできて、洗面器にためたアワを体に塗りたくっている。アッケにとられる私に、例の総務(マネージャー)がすかさず「スミマセン。これ位しか我々にはマエストロにお見せするものがありません。私達の気持ちを汲んでやってください。」と叫ぶ。隣にいた女子部員も「小松さん、夕食あまり召し上がらなかったんですって。さっきコンビニで買ってきたホタルイカ、いかがですか。」と異臭発する代物をすすめてくれる。

こうして一日を回想するうちに、何とも言えぬ幸福感に包まれた。孤独だった学生時代を改めて生き直し、ひたむきで純粋な熱い血潮をたぎらせる仲間たちと今日一日ともにしたのではなかったか。深い所で氷が溶け癒されていくのが感ぜられ、熱いものが沸きあがってきた。

京都と大阪で行なわれたコンサートは、全員一丸となった燃えるような演奏となり、二晩とも拍手が鳴りやまなかった。

京大オケ1 京大オケ2 京大オケ3


Copyright© 2001 Chosei Komatsu. All rights reserved
無断転載禁止