エッセイ

京大オケその1

とりわけ日本ではアマチュア・オーケストラの活動が盛んだ。職場でのオーケストラ、市民オケ、そして大学のオーケストラ・サークルである。大学オケは、学生達がアルバイトで稼いだそれこそ血のにじむような部費をはたいて、プロの指揮者を呼んでくるのが一般的になっている。事実、日本の若手指揮者は、アマチュア・オケを指導しながら、経験を積んでゆくことが多い。
私の場合、指揮活動を北米で始め、日本での指揮デビューが比較的遅れたこともあるが、私の師デビット・ジンマン(ボルティモア響音楽監督)の忠告もあって、ずっとアマチュア・オケの客演指揮は断ってきた。当時彼のもとでアソシエートであった私は、スーパーカーのような超一流のアンサンブルが、どこまで指揮者なしでいけるか、言い換えれば、どこから指揮者が示さねばならないか、その限界点を身をもって体験しているときだった。

そもそもプロのオケの練習は、コンサートの2・3日前からしか始まらない。指揮者はリハーサルを通して自分の音楽と方向性を提示し、楽員はそれをプロとして遂行する。責任は明確に分担・区分されている。ところが、アマチュア・オケでは、各々の楽器の操り方を学びながら、何ヶ月もかけて古今の大曲を合奏しようというのだから、指揮者には手取り足取りの指導まで要求される。ジンマンによれば、「下手なオケは振るな。彼らはビートしか見ることができず、音楽のコンセプトを読めない」「良いオケを指揮するのこそ難しい」ということになる。それに私は、指揮者としての膨大なレパートリーを猛然と消化(指揮)している最中で、人様の面倒を見るなぞとんでもない、自分の修行で精一杯というのが正直な心境であった。塗り絵漆器の名匠も、五十才になるまで教える余裕は全く無かったと語ってくれたことがある。

そういった訳で、アマ・オケのお誘いがあれば断り続けていたとき、京大オケの総務(マネージャー)が、私を東京・大阪・名古屋・広島の公演先まで追いかけてきて、熱心に口説きはじめた。

京大オケ2 京大オケ3 京大オケ4


Copyright© 2001 Chosei Komatsu. All rights reserved
無断転載禁止