エッセイ

京大オケその3

京大オケの合宿所へ向かう車中どうしても私自身の大学時代のことが頭をよぎった。大学二年のとき、伝説の名指揮者チェリビダッケがロンドン交響楽団を率いて来日し、私は彼の演奏解釈に衝撃を受けた。フルトヴェングラー亡きあと、チェリビダッケが名門ベルリン・フィルの後継指揮者になりながら二年で訣別し、その後カラヤンが迎えられたのは有名な話だ。
チェリビダッケは仕事も厳選し録音も一切拒否していたので、幻の指揮者といわれていた。
彼は、現象学的分析というアプローチによって、手垢にまみれた曲の一つ一つの音符に新しい光を当てて、今まで聴いたことのない新鮮で強烈な音楽を創り上げてみせた。「これはこんな曲だったのか。これまで耳にしていた音楽はいったい何だったのだろう。」と思い、未だ識らなかった深淵が存在するのを確信した。

その日から卒業までの三年間、「耳を守るため」と称してコンサートを一切絶った。学校へも体育実技、専攻の美学ゼミ以外ほとんど足を運ばず、留学に備えて指揮と音楽理論の個人レッスンに挑んだ。教授の顔も存じ上げずレポートだけで単位をいただいたことも何度もあった。数年前久し振りに恩師を訪ねようと東大本郷のキャンパスに行ったときも、構内で迷ってしまい案内図を見て美学教室にたどりつく私を見て、同行の人が「本当に卒業したのか」と聞く有様だ。自分なりに充実した時期ではあったが、他方では、指揮者になる夢の重圧、孤独感ゆえに、いわゆる『学生時代』を経験し忘れてきたような気持ちが永い間胸の内にあった。

琵琶湖西側の和邇の合宿所は、企業がよく研修用に使うとこらしく、大きな棟が幾つかと食堂、そして一軒家から成り、何やら昭和四、五十年代を思わせる懐かしい感じがする。オーケストラの合奏も畳敷きの大部屋で鮨詰めになって行なうらしい。夜は皆雑魚寝で、指揮者の私だけは一軒家が与えられる。着く早々「マエストロ、さっそくお願いします。」と促され、八十名の凄まじい熱気と緊張感に噎せ返るリハーサル場へ入った。


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