エッセイ

キエフ Part 2 マーラー交響曲第2番—復活

1991年の独立まで、ウクライナの首都キエフは実に1000年以上にわたって、ロシア、モンゴル、リトアニア、ポーランド、そしてソ連の支配をうけ、時には何百年もの熾烈な略奪を経験した。馬にのって神出鬼没に民衆を助けるコザックたちの活躍は、こうしたスラブ民族の厳しい歴史から生まれた。そもそもキエフは交易の要衝として栄えた。バレエ『白鳥の湖』で、王子の花嫁に選ばれようと各国から王女たちが駆けつけるのも、11、12世紀に栄華を極めたキエフがモデルとなっている。藝術を篤く保護し、今世紀にはいってもプロコフィエフ、ホロビッツ、オイストラフ、スターン等を輩出し、キエフ国立(シェフチェンコ)劇場は東欧三大バレエの一つに数えられている。



数多くの金色の教会が街中に鐘の音を響かせるキエフの美しさに感動し、私は限られた滞在の間に、史跡を見て廻ることにした。 11世紀建造の黄金の門、ユネスコ世界遺産であるソフィア寺院、そして最後に、ロシア正教の総本山の一つとして現在もロシア・ウクライナ各地から巡礼者を集めるペチェルスカ大修道院を訪れた。 この大修道院内には、スラブの民族衣装、有名な伝統的イースターエッグ、陶磁器などを展示した『ウクライナ民俗博物館』があった。そのギフトショップで、草花を題材にしたきわめて素朴な絵葉書に目がとまり強く惹きつけられた。 その場を離れない私に、 「実は私、前からその画家の作品がとても好きなんです。この博物館は、二階で彼女のコレクションをまとめて展示していますから、ご覧になりませんか。」と、案内役の駐ウクライナ日本大使館の岩崎薫派遣員が申し出てくれた。
  
画家の名はカテリーナ・ビロクール(1900-1961)。貧しいコルホーズの農村に生まれ、絵の教育を受けたことがなく、満足な画材もなく、週末月明かりのもとのみで猫の毛の筆を使って独習したという。専ら、草、果物や花を題材に描き、最晩年になってようやく評価された。素朴で愚直ともいえる作風でひたすら草花を描き続けた作品群のなかに、一つだけ異色の絵が現れた。それをしばらく眺めるうちに私は戦慄を感じ、80歳は楽に越していると思われる学芸員のおばあさんにその絵の説明を請うた

キエフ Part 1 キエフ Part 3

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