小松長生氏とは、私が京都大学交響楽団の総務を担当した1994年6月の第155回定期演奏会に招聘し登壇いただいて以来のご縁である。当時の小松氏は師デイヴィッド・ジンマンの教えもありアマチュアは振らないという姿勢だったが「近衛秀麿氏、朝比奈隆氏、山田一雄氏ゆかりの京大オケなら」と客演指揮を受諾いただいた。そのメインプログラム選曲の際、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、ドヴォルザークなどの交響曲が学生間で挙がった。しかし小松氏より「メンデルスゾーンとシューマンはお互いをよく知ったオーケストラでやるべきと考えてるので回避を」と要望もあり、最終的にドヴォルザークの第8番となった。
今回のセントラル愛知交響楽団第193回定期演奏会(2022年11月25日 三井住友海上しらかわホール)は、小松氏がかつて「お互いをよく知ったオーケストラで」と語ったメンデルスゾーンとシューマンの交響曲が中心のプログラム。小松氏のセントラル愛知響への信頼、何より小松氏の現時点での総決算という意志が感じられてならなかった。
コロナ禍により2年の時を経て実現のコンサートはシューマンの交響曲第2番で幕開け。その冒頭。序奏での弦楽器の和音が印象的。他のコンサートやCDではまずヴァイオリンの旋律が耳に入ってくるが、ヴィオラ、チェロ、コントラバスもヴァイオリンと同じくらいの音量を出している。しかし旋律がかき消されることがないまま和音が大きな広がりを感じさせる。他の演奏では旋律を浮かび上がらせるために中低弦は抑えるなどという手法を耳にするが、そんな手法や慣習は必要なのか、シューマンはそんなことを望んだのか、と思わずにいられない。アレグロに入っても余計な虚飾などなくただ楽譜にある音が小松氏自身執筆の当夜のプログラム冊子掲載の解説にある学識、見解を伴い進んでいく。そこに聴衆向けの表現やアクションはなく愛想がなく取れるかもしれないがそれは誤解で、曲に、そして自身にある真実のみが展開されており、実は音楽だけでなく聴衆に対してもこの上なく誠実な姿勢なのである。
第1楽章の終わりではテンポを早めて効果を上げようとする演奏がしばしばあるが当夜の演奏ではインテンポのまま、しかし壮絶な弦楽合奏、精緻な木管楽器の動き、金管楽器の高らかな叫びが、よりリアリティを以て迫ってくる終結となった。
第2楽章で弦楽器はそのスピードの中で細かな楽譜を目まぐるしく弾いていく。どの演奏を聴いても大変そうだな、難しそうだなと思わせられるが、当夜の演奏ではそれ以上にその研ぎ澄まされた様に目を見張るばかり。とても日本のオケとは思えない音が展開されていた。いやそれもそのはず。北米で長きに渡り活躍し現地の楽団と数えきれないほどのリハーサルとコンサートを重ねてきた小松氏に、日本の概念を重ね合わせるのが不粋であり筋違いなのだ。この日本にクリーヴランドやフィラデルフィアやボルティモアを彷彿させる楽団が存在していることに驚愕させられるばかりだが、それも小松氏とセントラル愛知響の20年近くものかかわりあってこそと納得するのであった。
第3楽章は私事で恐縮だが、これまではその暗澹たる音楽に気が滅入る印象しかなかった。だが当夜は「心奥の苦悩と慟哭を音楽で吐露した本楽章」と小松氏が解説で記しているように、楽譜の奥にあるシューマンの心情を代弁するような演奏だった。いたずらに沈鬱になるのではなく作曲者に音楽に寄り添い真実を表出していく様に、ただ共感のみが残るばかりであった。これまで何度も聴いてきた第2交響曲だがその真髄に初めて接した思いだった。
第4楽章は「クララへの歓喜と感謝の音楽」「シューマンにしか出来ない純粋で真摯な喜びの世界」(小松氏解説)が素晴らしく展開されていく。「深い憂鬱」(小松氏解説)がめんめんと吐露された第3楽章の後だから、その感はなおひとしおだった。そしてトランペットのコラールに続いて奏でられる「ベートーヴェンの歌曲『遥かなる恋人に寄す』からの引用」(小松氏解説)の場面では、月並みであまり使いたくない言葉だが感動せずにいられなかった。しかしこの感動はこれまで経験してきた感動とは全く違う類のものであることを自覚させられる。本当の感動とはいま目の前で展開されている真実を追究しようとする姿、真実が表出される様に突き動かされてこそなのだ、と認識を改めずにいられなかった。そして、なぜ音楽が存在するのか、なぜ人は音楽を求め追究し演奏し聴くのか、という真理を目の当たりにする思いだった。またこれまで書いてきたように音楽および演奏の密度や充実度はとてもコンサートの1曲目とは思えない。いやそこにある楽譜の音を、真実を表出するのにコンサートでの演奏順など無関係なのだと認識させられる。このようにこれまで得たことない感慨に次々と襲われる中、最後の音が鳴り渡り、やはり1曲目が終わってのとは到底思えない大きな拍手が会場にこだまし、小松氏は何度もステージに呼び戻されていた。
休憩後は荒井結氏の独奏によるチャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」。荒井氏の研ぎ澄まされたテクニックと艶やかな音色、目眩く変奏されていく様に、前半のシューマンに聴き入ったゆえの疲労感が癒されていくようだった。またアンコールで演奏されたカザルス作曲の「鳥の歌」は、平和を願う痛切な音が胸を打った。
続いて迎えたプログラムの最後、メンデルスゾーンの交響曲第5番『宗教改革』。第1楽章、弦楽器による序奏は神への祈りであり罪の告白、それに続く管楽器は神の呼応、そしてドレスデンアーメンは救済、だがその直後のティンパニの打撃は神の怒りの鉄槌、を想わせる。アレグロに入ってからも小松氏の取るテンポは決して急がない、むしろ踏みしめるような足取り。ゆえに21歳のメンデルスゾーンの若き才気、そして信仰性が音とともにしかと客席に伝わってくる。再び救済のドレスデンアーメンが奏でられるも、赦しが得られぬまま第1楽章は終結となる。
しかし小松氏の意外なまでに大きな身振りで開始された第2楽章では、木管楽器が福音を想わせる旋律を奏で始めると、天上から天使が次々と舞い降りてきた錯覚に襲われた。何を妄想しているのかと笑うなかれ。共同通信社記者だった故・百瀬堅一氏は小松氏指揮のドヴォルザーク『新世界より』を聴き、「『満天の空に星が輝き、夜気に触れたような錯覚』を体感した」とエッセイに書き残している。楽曲に内在する真実、そこにまつわるさまざまな背景を追究した結果、音楽は人の感覚や細胞、さらには想像力を刺激し活性させるのだと思えてならない。また繰り返される第2楽章冒頭のリズムはこれまで取ってつけたようなリズムに聴こえる演奏に数多く接してきたが、当夜はメンデルスゾーンの天才性とセントラル愛知響の機能性を小松氏が絶妙にリンクさせ、至福の空気を創り出していた。
第3楽章は信仰告白を想わせる音楽。そういえば前半のシューマンの2番も本曲も第3楽章が緩徐楽章であり、プログラムの意図を読み取れる。しかしシューマンが自身の心情の吐露であるのに対し、メンデルスゾーンは信仰告白と、テーマは全く異なる。ゆえに交響曲2曲という重量感あるプログラムでありながら、聴衆を飽きさせ疲れさせるどころかむしろ新たな感興を呼び起こす。またシューマンが円熟期の作品であるのに対し、メンデルスゾーン作品は21歳の時の作品であり才気とともに若さや未熟さも見え隠れする。しかしその若さや未熟さもまた真実であり小松氏はそこに余計な虚飾など決して施さない。ゆえに物足りなく感じなくもないが、それ以上に新鮮で微笑ましくも感じられる。
そしてアタッカで迎えた第4楽章は「バッハのカンタータ80番『神は我が櫓』の旋律」(小松氏解説)がフルートのソロによって奏でられる。それはあたかも神の啓示のよう。そこへ次々と各楽器が神のもとへ集結するかのように参加していく様は、クリスチャンではない私も信仰心を掻き立てられる。やがてテンポはアレグロ・マエストーソへ。同箇所はやたらテンポを上げるばかりの演奏をよく目にするが、当夜の演奏はテンポは上げながらもどの音も確かに鳴っていてマエストーソの趣は失ってない。その意味では見事で申し分ないが、信仰的、宗教的な高揚や感興がもっと感じられてもいいのではと思わなくもなかった。しかしこれはある意味、日本人による演奏ゆえと考えられる。知識として神や聖書やキリスト教を知っていても、それを実際に信仰していたり身近な存在としている人はオーケストラメンバーに限らず日本人全体で考えても稀に近いと言える。神社で手を合わせ祈ることはあっても教会で諸手を上げて神を賛美する習慣や経験を日本人のほとんどは持ち合わせてないのだ、と演奏を聴きながら実感するばかりだった。また技術的に格段の進歩を遂げたと言われる日本のプロオケから、どうしても西洋のオケにある伝統や匂いといったものが感じ切れない理由はこのようなところにあるのか、と考えさせられる。しかしだからと言って当夜の演奏の価値が低下するというわけでは決してない。むしろそうした現実までをも醸出した意義こそ評価されるべきである。またベートーヴェンが晩年に『ミサ・ソレムニス』や交響曲第9番を発表した時期は、ちょうどメンデルスゾーンの青春時代にあたる。楽聖の没後まもない時期に書かれたこの第5交響曲『宗教改革』は、神、聖書、キリスト教信仰を描いた交響曲としては稀有の存在であるばかりか、ベートーヴェンに肉薄せんばかりのメンデルスゾーンの才能、気概が溢れてやまない、音楽史上的にも重要な作品であることを改めて示したのが当夜の演奏であった、と断言したい。
久志本 道夫
こちらのエッセイのもととなった演奏会「193回定期演奏会プログラム<小松長生によるプログラムノート(曲目解説)>」のPDFファイルはこちらからご覧いただけます
Copyright © Chosei Komatsu. All rights reserved. 無断転載禁止 |