自ら『険しい道』を選択した男
共同通信社 記者
百瀬堅一さん
日本の音大で学び、コンクールで賞をとり、日本のオーケストラで実績を積みながら、主要なポストをつかむー。マエストロ小松長生はこのような「常識」をあえて拒み、自ら「険しい道」を選択したまれな男でもある。
東京芸大附属高校に首席合格したものの、「指揮者になるには幅広い勉強を」との芸大教官の助言により、福井県立藤島高校から東大に進学し、その後米国に指揮者留学した。
付き合いは1993年にさかのぼる。その時、関心を持ったのは「なぜ芸高を辞退したのか」だった。小松の今にいたる「険しい道」をもっと聞いてみたくなった。
「東京芸大に進めば、もっと早く日本で主要なポストがえられたかもしれない」これは僕の本音。でも本音を彼にぶつける気にはどうしてもなれなかった。
「小松がカナダで音楽監督」「幅広さ持ち味の小松長生」「マーラーの復活にこめる祈り」「確実にキャリアをつむ」「父と母が夢の後押し」。共同通信社が加盟社に配信した自筆原稿の見出しを読んでみると、小松長生の足跡が浮き彫りになる。
ボルティモア響のアソシエート、カナダ・キッチナー・ウォータル響の音楽監督を歴任し、小松長生は「オーケストラの手網さばき」を手中にした。次代を担う若きマエストロが自信をみなぎらせ「将来の夢」を熱く語ったのもこのころだ。
ドボルザークの新世界を聴いたことがある。(95年7月9日、東京都交響楽団のプロムナードコンサート)その時、「満天の空に星が輝き、夜気に触れたような錯覚」を体感した。
彼の演奏を聴くと、僕の中の北米のイメージがよみがえってくる。壮大な自然の営為を表現することの出来る指揮者。いつからかそれが小松長生の持ち味になっていたと思う。
回り道したことは彼自身が良く知っている。回り道したからこそ「人生の邂逅」も良く知っている。人にやさしく、両親にやさしく、そして自分には厳しい。
「険しい道」を歩んできた小松長生は僕の本音に指揮棒一本で答えてくれたと思っている。付き合い始めて7年になる。もう7年なのか、まだ7年なのか・・・。
今度は彼の口から本音を聞き出そうと思っている。
(敬称略)
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