ベートーヴェンの「第九」では、漆黒の闇と光の相克、楽園への憧憬、英雄的理想主義、歓喜が重要なメッセージとなっていますが、二つの源をたどることができます。
一つは、いうまでもなくシラーのテキスト『歓喜に寄せて』です。美学者・教育哲学者・歴史家としても名高いシラー(1759−1805)は、ゲーテとともに疾風怒濤時代のドイツ文学を代表する識者です。死を賭して自由を求める英雄カールを主人公とし、初演時には失神者も続出した処女戯曲『群盗』(1785年)、そして『歓喜に寄せて』は理想主義に燃える青年たちに感動をもたらし鼓舞しました。若き日のベートーヴェンもその例外ではありませんでした。フランス革命政府が一方的に名誉市民の称号をシラーに贈ったことからも、シラーの作品群が与えたインパクトをうかがい知ることができます。ベートーヴェンは1792年(22歳)の時点で、いつかはこの詩に曲をつけたいと考えていました。
もう一つの源は、暗黒(サタン)と光(神)のあいだの大会戦、アダムとイヴのエデンの楽園などを謳ったミルトンの『失楽園』及び聖書の『創世記』を出典元とする、ハイドンのオラトリオ「天地創造」です。
ハイドン(1732−1809)の「世界最高の作曲家」という晩年の評判を不動のものにしたオラトリオ「天地創造」(1798年初演)は、1803年にはウィーンだけでも40回以上、上演されています。
『創世記』と『失楽園』から成る英文の台本を、ヴァン・スヴィーテン男爵がドイツ語訳してハイドンに根気強く作曲を勧めた結果です。そのころ、若きベートーヴェンも男爵の後見がきっかけとなり、当代一のピアニストとしてウィーンで大活躍しており、ハイドンの「天地創造」に傾倒し、通暁していたのは、後述する「第九」第四楽章「Welt?(世界よ?)」の扱い方、ピアノ協奏曲第3番(1800年作曲、1803年初演)第二楽章のオーケストレーションが「天地創造」の楽園シーンをなぞっていることが、ヴァン・スヴィーテン男爵との密接な音楽的交流などを見てもわかります。
ちなみに、シラー、ヴァン・スヴィーテン男爵、ハイドン、モーツァルト、そして男爵の友人でベートーヴェンの支援者ともなったロブコビッツ伯爵らは、フリーメーソンの会員です。ベートーヴェンが会員であった記録はありませんが、作品を献呈した相手の多数がフリーメーソンであり、自由、平等、博愛などの理念の実現、光に満ちた理想郷(失われた楽園)と絶対的な父なる存在への憧憬は、彼らにとって最も重要な命題でした。
ベートーヴェンはナポレオンの快進撃を、火(自由)を神々(専制君主)から奪って人間(平民)に与えたプロメテウスに重ね合わせ、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」(1801年)、交響曲第三番「英雄」(1804年ロブコビッツ邸で初演)を作曲しています。「第九」の完成は、それからさらに約20年後でした。8つの交響曲、珠玉のピアノソナタ群、5つのピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、あまたの室内楽曲を量産したベートーヴェンも、1813年以降は難聴の進行、健康問題、支援者であった貴族たちの死去・没落、甥カールをめぐる醜悪な裁判沙汰などで創作のペースが格段に落ち、軽妙なロッシーニのオペラの大流行もあって、時流からは忘れ去られた存在となっていました。しかしながら、この交響曲は、それまでの作品群とは規模と深度において明らかに一線を画し、最後期のピアノソナタ、弦楽四重奏、「荘厳ミサ」(1823年)とともに、余人には測りがたい究極の眺望を音楽作品に具現化した渾身の傑作です。
漆黒の闇(弦)に射すレーザー光線のごとき光(冒頭ホルン)は数を増し、やがて簡潔かつ威容をもった第一主題が、宇宙を震わすように全貌を顕します。天使が奏でる楽隊(ホルン・木管)による第二主題が楽園(Elysium〈第四楽章の歌詞。以下同〉)を束の間描いたのち、暗闇の中を魂が煩悩の発露に直面し、自問しながら進む展開部に参入します。やがて地は震え、「最後の審判」の召喚(トランペット)が鳴り響き、煉獄の炎が燃え盛るなか、第一主題が壮絶に再現されるのです。すぐに楽園・第二主題に移ったあと、長大な終結部が展開部の暗夜行路を再現し、「葬送行進曲」が魂の浄化、禊ぎの儀式を象徴しています。第四楽章で「死の試練」を経た( gepru¨ft im Tod )友や魂の参集が祝われますが、恐怖を克服できず魂の禊ぎをなしえない者たちは「この集いから、涙ながらにそっと立ち去る」( Weinend sich aus diesem Bund! )ことを象徴しているのでしょう。本楽章は第一主題をユニゾンで決然と奏して終わります。
ティンパニー(雷:全能のギリシア主神ゼウスの武器)が大活躍するスケルツォは、軽妙で神出鬼没、また、ときには神の手勢としてエデンの園を護衛しサタン軍との大会戦にも参加する天使たちを想起させます。中間部(トリオ)では楽園( Elysium )が初めて全貌を現します。水は澄み、風は心地よく、鳥たちがさえずり、歓びの鐘(トロンボーンなどの二分音符)が鳴り渡ります。
羊たち(楽園の住人)を見守る牧童・天使の吹くホルンの主題は、最終楽章の「歓喜の歌」の構成音を包含し、両者間の相似は明白です。「歓びが楽園に源を発する」とするシラーの歌詞( Freude, Tochter aus Elysium:歓びよ、楽園を出自とする娘よ)の趣意が理解できます。
愛に包まれた安息と歓びの賛歌。
第一主題、すなわち弦楽器による悠久の愛の詩は、木管(天使たち)の呼応を受けます。楽園の美を愛でる三拍子の第二主題を二回挟みながら、第一主題は三回の変奏を重ねます。そのさまは、あたかも次第に秘密の花園に分け入ってゆく蝶が嬉々として浮遊するようです。絶対的存在の威厳を感じさせるファンファーレ(トランペットほか)も二度響き渡り、なおも変奏を続けるコーダで、この悠久のパストラール(牧歌:楽園はひよわな羊たちを神、聖人、天使たちが牧童として護る牧場ともいえる)は幕を閉じるのです。
第四楽章は、大きく四つの部分から成っています。
歓喜の歌への軌跡とその全貌 (オーケストラのみ)
前楽章の平穏を破る冒頭は、業火と地震・「最後の審判」のファンファーレ・怯える魂たちの阿鼻叫喚です。第一、二、三楽章を各々短く回想しながら、低弦のモノローグが順次打ち消し、ついに調和に満ちた歓喜の歌の主題が聴こえてきます。歓喜の歌は、低弦による独吟から始まり、やがて世界を覆いつくすように総奏されるのです。
1. 歓喜の歌 歌詞付 / 2. 勇者たち / 3. 壮絶な戦いと弔い / 4. 歓喜の歌
1. 神殿での荘厳な儀式 / 2. 二つの主題によるフーガ
祝典的フィナーレ
1. コーラスと独唱四重唱 / 2. コーラス
(注)フーガ技法はもともと真理・神の摂理を象徴する教会音楽の技法で、J・S・バッハ(1685−1750)が多重フーガの技法を極めています。若き日のベートーヴェンは、ヴァン・スヴィーテン男爵が個人的に所蔵していたバッハの楽譜を、男爵邸で彼の求めに応じて夜更けまでピアノで弾き込みかつ研究し、すでに交響曲第三番から本格的にフーガ技法を導入しています。世俗的舞曲と開幕告知にすぎなかった序曲を先祖にするシンフォニーにおいて、フーガの使用は常識破りでした。「第九」の雄大でエキサイティングな二重フーガでは、ベートーヴェン独自のフーガのスタイルが確立されています。ちなみに、忘れられていたバッハの音楽がメンデルスゾーンによって「再発見」されるのは、ベートーヴェンの死後である1829年でした。
●ドイツの詩人、ヨーハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラー( Johann Christoph Friedrich von Schiller )の詩『自由賛歌』( Hymne a` la liberte´ 1785年)は、1803年に『歓喜に寄せて』( An die Freude )と書き直されました。下記はそれをもとにベートーヴェンが書いた歌詞と日本語訳です。