1792年にウイーンへ居を移して以来、「当代一のピアニスト」として注目を集めていたベートーヴェンの名声は、1795年に行われたピアノ協奏曲第1番と第2番両曲を、宮廷楽長サリエリ指揮、ベートーヴェン自身の独奏により一晩で初演した公開演奏会で不動のものとなった。第1番は第2番より後に書かれ、構築観が増し、ハイドン、モーツァルト、ヘンデルらの楽曲への通暁が明らかな管弦楽法は確固としていて、1803年(交響曲第2番)以降の交響曲作曲家としての大成を予告している。
初演当時はいまだ、協奏曲や交響曲などの大規模な管弦楽曲は単に慶事の始まりを告知する「祝祭的序曲」として捉えるのが普通であり、本曲はそれを反映している。心情を吐露するベートーヴェンのピアノ協奏曲第3,4,5番を聴き慣れた耳には、第1番の典雅さ、潔い若さと簡明さが新鮮である。
長大なオーケストラのみの部分と、ようやく参入するピアノにより主題群が紹介され、中間部(展開部)での神秘、尻取りのようなフーガ的展開を経て、壮大な再現部、カデンツァ、短い結びで楽章を終える。
ベートーヴェンが愛した幽玄な森を想起させる瞑想的な楽章。ごく短い中間部には木管(森の精、あるいは天使たちの楽隊)と呼応しあうピアノ独奏による新しい単声部メロディーを配し、その分長めの再現部とコーダは、主題の変奏と更なる「呼応」をちりばめた事実上の展開部となっており、驚くべき独創性である。クラリネットのソロが美しい。
ロンドとは、主題が円環(ラウンド)して何回も戻ってくる形式である。溌剌とした主題は、実は「騙し絵」的に弱起(アウフタクト)で書かれており、オーケストラが加わった時点で初めて、実は弱起であったと聴き手に諒解される仕掛けになっている。また第2主題には、トルコ行進曲(タン、タン、タ、タ、タン)が大胆に用いられ、モーツァルトの『トルコ行進曲』やオペラ『後宮からの逃走』を想起させる。ウイーン包囲やハンガリー占領などオーストリア帝国を脅かし続けてきたオスマントルコ帝国が人々に与える遠国への憧憬も窺い知れる。楽章全体に、軽妙さを表現したい作曲者の工夫があふれ、ハイドン、モーツァルトの頃まではトランペットとほぼ同一の動きであったティンパニーが、顕著で独奏的な役割を得ていることも特筆に価する。短くノスタルジックな貴族的カデンツァの後、熱狂的に曲を終える。