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シベリウス フィンランディア/交響曲第2番/ヴァイオリン協奏曲
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ジャン・シベリウス (1865−1957)
交響詩「フィンランディア」 作品26、第7番 (1899年初演、1900年改訂)
交響曲A C2番 作品43 (1901年初演)
バイオリン協奏曲 作品47 (1904年初演、 1905年改訂)
<交響詩「フィンランディア」 作品26、第7番 (1899年初演、1900年改訂)>
Andante sostenuto - Allegro moderato
フィンランド民族は、自らをスミオと称し古くから独自の言語と誇り高い文化を擁しながらも、12世紀から西隣スウェーデンの、そして引き続き1809年からは東隣帝政ロシアの属州・属国として圧政に苦しんでいた。 19世紀欧州各地の民族独立の気運はフィンランE3にも波及する中、ロシア語の強要そして1899年ロシア皇帝によるフィンランド自治権廃止宣言は、各地で反乱を呼び同年のロシア総督暗殺にまで発展した。 民族文化存亡の危機に直面していたフィンランド人を奮い立たすべく発表された愛国記念劇「フィンランドは目覚める」(1899年)のシ3リウスによる音楽全8曲は、帝政ロシアが即刻演奏禁止処分にしたものの、 第7曲目は、交響詩に改訂され翌1900年に発表された。 以来フィンランド人を感動させ、曲中2度現れる『フィンラ3ド賛歌』(後年1941年に詩人コスケンニエミの詞を、作曲家自身が合唱に編曲)は、第二の国歌として愛唱され続けている。
宿命的な響き(金管)で始まる重く暗い前奏は、苦悩と怒りが直裁に表現され、そのまま生々しい戦いに参入する。 死者を偲び、癒し・加護の験し・希望を請う讃美歌奏されると、最後の戦いが開始され、 高らかな勝利と感謝の「大合唱」(賛美歌)に終結する。 満座の聴衆が感涙にむせんだ。
交響曲第2番 作品43 (1901年初演)
作曲者自身はの内容への言及を避けるが、本曲は「フィンランディア」の意図をより展開し詳述したものと、当時のフィンランド人にもそして筆者にも受け取られている。
<第1楽章> Allegretto
『国破れて山河あり』(杜甫)を思い起こさせる、フィンランドの美しい湖、森、海、山の描写である第1主題と、ヴイオリンによって雄弁に気持ちを謳う第2主題。 中間部では長い暗闇の時代と各所で煮沸する感情が第1主題と混然となって昂まり、 金管群による輝かしい第2主題で最高潮を迎え、 冒頭の『山河』再び奏されて潮が引くように楽章が閉じられる。
<第2楽章> Tempo Andante, ma rubato
冒頭の遠くから響くティンパニー(最後の審判)と心細く暗夜を歩むような低弦のピツィカート(裁きに向かうために召喚される)は、この楽章が葬送の行進、死した魂に想いを寄せる楽章であることを明示する。 金管E3よる召喚の響きには、弔いのグレゴリオ聖歌「ディエス・イレ(怒りの日)」がほぼ原型のまま引用されている。 死した魂にとっては、問いかけと慄き、 見送った生者にとっては喪失感、内奥から込み8 Aげる静かな嗚咽そして激情が、全編を通して禁欲的な管弦楽法で表現される。 束の間に奇跡のように顕れる6個もの#を擁する「遠く離れた」嬰へ長調の天国・楽園の描写は、 最終楽章での天国の部分の調でもある。 今は魂が遠くに見やるだけの楽園を、最終楽章ではその地が約束されてい8 2ことを暗示していよう。
<第3楽章> Vivacissimo
弾丸の響き、爆弾の炸裂を鮮やかに描く戦いの場面と、祈り・愛・山河の場面(トリオ)が交互に現れる。 本来は軽妙なスケルツォートリオ の概念を見事に=E 8越し緊迫した叙事詩となっている。 なお戦いの描写は、ベートーヴェン『第九』最終楽章のテナーソロ(戦場に赴く勇者)に続く、 壮絶な内面の闘いの場面(6/8拍子)が作曲者の念頭にあろう。 2回目のトリオは、そのまま克服すべき最終の戦いとなり、 勝利のフィナーレに間断なく行する。
<第4楽章> Allegro moderato
万感のこもった勝利と歓びの歌である。 第二主題の死者たちに想いを寄せる葬送行進曲は嬰へ長調の天国に昇天するように解決する。 激烈な過去を回想する展開部のあと再=E 3勝利の歌・葬送行進曲が再現され、天(彼岸)と地(生者)が祝福し燦然と輝く光(弦楽トレモロ)のなか 金管が賛美歌を最強奏し、全オーケストラのよる 「アーメン」(最後の2つのコード IV-I)が、本曲を締めくくる。
バイオリン協奏曲 作品47 (1904年初演、 1995年改訂)
<第1楽章> Allegro moderato
オーケストラによる通常の前口上は略され、神秘的な弦伴奏のうえに 「極寒の澄み切った北の空を、悠然と滑空する鷲のように」(シベリウス)ヴァイオリン・ソロが現8 Cる。 驚くべきことに、通常なら楽章の終りに出てくるソロ・カデンツァが、楽章の真っ只中・展開部の中心として位置付けられ、内省的な独吟を披露する。 楽章を通して自然美、荒々しさ、素朴さ、情念、透明感等様々な要素が、構成上の斬新な意図を浮き立たせず誠にしなやかに誂えらている絶品である。
<第2楽章> Adagio di molto
敬虔な祈り・賛美歌の楽章。 中間部では黒雲のように沸き起こる疑念や恐れ、はやる心臓の鼓動(シンコペーション)などが描かれ、そうしたなか魂(ヴァイオリンB Bソロ)が翻弄され悲痛な叫びをあげ、やがて安寧を得るドラマが展開される。
<第3楽章> Allegro, ma non tanto
英国の某指揮者が「北極グマによるポロネーズ」と評した、 ワイルドで生命力に満ちた民族色が強烈な舞曲。 本曲に強い影響を与えたブラームスのヴァイオリン協奏曲の最終楽章で ハンガリー・ジプシー風の土臭い舞曲が用いられたことが想起されよう。
(この曲目解説は、2009年1月30日 セントラル愛知交響楽団第96回定期演奏会プログラム用に書かれたものです。)
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