曲目解説集

マーラー 交響曲第4番

グスタフ・マーラー (1860−1911)

交響曲第4番 ト長調 (1902年初演、1911年最終改訂)

1970年代以降のマーラーブームで、今や作曲家として不動の評価を得ているが、 マーラーは終生指揮者としてもっぱら活動した。 ボヘミア(現チェコ)でユダヤ人の両親に育てられ、ウイーンでピアノと作曲を学び、生活の糧としてオペラ小屋に職を得る。 今日とは比較にならないほどユダヤ人への迫害と蔑視が横行していた19世紀末に、ブダペスト、ハンブルクの歌劇場を経てウイーン宮廷歌劇場の指揮者、後には米国のメトロポリタン歌劇場とニューヨーク・フィルの指揮者も務めたことは異例である。事実ウイーン就任前にはユダヤ人であることでコジマ・ワーグナー(ワーグナー未亡人)が公然と就任反対を唱えている。1880年代からの金融恐慌による金融支配層(ユダヤ人)への憎悪、1890年代のユダヤ人ドレフュス仏大尉へのスパイ冤罪・真相隠蔽事件に起因するユダヤ対反ユダヤ対立の先鋭化といった情勢は、マーラーを陰に陽に苦しめたであろう。30歳以降妹や弟たちを自力で養い、弟の自殺、フロイトの診断を仰ぐほどの神経症、重度の痔疾と心臓病、娘の死、妻の裏切りを経験し、医者の忠告も無視して憑かれたように文字通り死ぬまで指揮し作曲し続けた。こうした重い胸のうちを吐露する手段として用いられた交響曲群は、当時としては荒唐無稽と受け取られる発想、構造、管弦楽法、長さを擁し、徐々に受け入れられて行ったものの、常につきまとった作品への激烈な批判は、マーラーを憤慨させ深く傷つけた。 本交響曲は、死の数ヶ月前までマーラーが諦めずに改訂を行っていた執念の作である。

<第1楽章> Bedachtig, nicht eilen  (慎重・思慮深く、速すぎずに)
香り、遠くの汽笛、表を走っていたバスの音など、人は誰でも一瞬にして幼少時の自分に引き戻す特別なボタンを心奥にしまっているものだが、冒頭の鈴とフルートの刻みは、森を駆け抜ける定期馬車あるいは冬のトナカイのそりをイメージさせ、ボヘミアのカリシュト村で過ごしたマーラーの幼少時代を象徴するモチーフとなる。 この「鈴・幼少モチーフ」は、第1楽章のみならず最終楽章でも何度も環ってくる。 第1楽章は簡素なABA’ 3部形式をとるけれども、少なくとも7つの主題が登場し、エネルギーと好奇心に満ちじっとして居れない少年期を描写する。 浮き浮きし駆け出したくなる気持ち、おおらかな愛の享受、自然の神秘と怖いもの見たさの好奇心、また既に忍び寄っていたと思われる迫害・差別に起因する不安と恐怖(交響曲第5番冒頭で使われることになるトランペットの悲劇的宿命ファンファーレが中間部で登場)も明確に表現される。しかしながら、最後は少年が陽光に向けて駆け出してゆくように屈託無く快活に締めくくられる。

<第2楽章> In gemachlicher Bewegung, ohne Hast (心地よい律動で、慌てずに)
『死の舞踏』
交響曲第2番『復活』のスケルツォ、「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」では、愚かな人間界を魚にたとえ、鯉(食いしん坊)、かまち(盗人)、うなぎ(好色)などが幾ら説教を聴いて感動しても次の瞬間忘れてぐるぐる周遊する業の姿が描かれた。 本スケルツォでは、森に百鬼夜行する様々な鳥、動物たちが、グロテスクな人間界を象徴する。コンサートマスターは2台のヴァイオリンを用意する。1台は人をして自虐的にさせ死へ誘惑する死神ハインの踊りを弾くためで、1音高く調律されていて総譜にはその分低く記譜されている。 演奏側には面倒至極な話だが、人間界に紛れ込んだ異質の存在を象徴する意図があろう。不気味、異様で冷笑的、時にけたたましいスケルツォであるが、2回目のトリオでは、清麗で安穏な神性が開示される。 それも束の間、迷妄で醜悪な人間たちとそれに悪戯のように加わる死神の踊りに再び引き戻される。 最終楽章で少年の魂が、天国には俗世のごたごたや騒がしさは聞こえてこないと歌うとき、このスケルツォが前提にある。

<第3楽章> Ruhevoll, poco adago (安息のうちに)
 『聖女ウルスラの微笑』
ブリタニア王女ウルスラは、ローマで洗礼を受けた帰りケルンで純潔・信念を護り通して1万1千(11 x 1000)の処女の従者達とともに蛮族に斬殺されたとされる伝説上の聖女。ケルン市の紋章は11の炎を示している。 騎士、冒険家(船乗り)らの絶大な崇敬も集め、彼らは武運長久ひいては戦いのとき良き死が得られることまで祈願した。 マゼランはマゼラン海峡の入り口の岬を処女岬と名付け、コロンブスが命名した(現在英領)ヴァージン(処女)諸島の紋章にはウルスラと11の燭台があしらわれている。 交響曲第1,2番で既に勇者の魂の死と復活を詳細に命題として取り扱っていたマーラーは、この第3楽章で今生苦しみぬいた魂の臨終を描く。聖女ウルスラに優しく見守られた安息の死をマーラーが望んでいるのは楽章冒頭から明白であるが、天国に行けるのだろうかと心細く怯え(第2主題:オーボエ)、雄叫びのように吐露される苦しみと罪悪感の思い出が何度も脳裏に蘇る。そして走馬灯のように、青春、ダンス、乱痴気騒ぎ等が脈絡無く回想された後、最期が近付いたことが察せられ、「私は自力で翼を勝ちとった」(交響曲第2番『復活』で、魂が原光・復活へ飛翔するテーマ)のフレーズが癒すように奏される。最弱音(ピアノ3個:ppp)によって消え入ったと思われた瞬間、誰しもを驚愕させる最強音(フォルテ3個:fff)とともに天国(第4楽章のモチーフ)と幼少時(第1楽章中間部フルートのモチーフ)が「奇跡」のように壮大に重なり合って開示される。それが鎮まり涅槃寂静の世界に昇ってゆく結末部の美しさは、筆舌に尽しがたい。 幼少時に還り天国も観照する「奇跡」の際、疲れきった姿の勇者の魂は少年の姿へとメタモルフォーゼ(変身)・回帰してゆくのだと感じる。 この楽章と聖女ウルスラの微笑を想う時、筆者の心には奈良の古寺の仏像に見た、苦界にあえぐ衆生を受け入れ、包み込み、そして癒す霊妙な微笑が想起される。

<第4楽章> Sehr behaglich (とても安楽に、くつろいで)
 『天国の生活』
亡き魂が生者に呼び掛け慰める『千の風になって』が昨今人々に大きな感動を与えているが、実に百年以上も前にマーラーが、天国で幸せに暮らす(少年の姿に戻った)魂が地上界に語りかける歌を交響曲の最終楽章に充てている事は感慨無量である。 

Das Himmlische Leben
『天国の生活』 (「子供の魔法の角笛より」)

(aus Des Knaben Wunderhorn)   

〔 短い前奏: 天国に召された魂が純真な少年の姿となって、昆虫、鳥、動植物に溢れた美しい楽園を鼻歌(クラリネット)を歌いながら幸せそうに歩いている。〕

〔歌  第1連〕

僕達は天国の歓びを楽しんでいる。
Wir geniesen die himmlischen Freuden,

ここには俗世のごたごたなんて無いし、
Drum tun wir das Irdische meiden.

地上界の騒がしさも天国には聞こえてこないよ。
Kein weltlich Getummel

皆が穏やかに安息の暮らしを送っているんだ!
Hort man nicht im Himmel! Lebt alles in sanftester Ruh.

僕らは天使のような生活をしている!
Wir fuhren ein englisches Leben!

といっても、(堅苦しさはなくて)愉快で陽気な毎日さ!
Sind dennoch ganz lustig daneben!

踊って、飛んで、跳ねて、歌って、それを天国の聖ペトロ様(キリストの一番弟子で教会組織の祖)が暖かく見守ってくださる。 
Wir tanzen und springen, Wir hupfen und singen,Sankt Peter im Himmel sieht zu.

〔 間奏 No.1 : 鈴の音とともに第一楽章で描かれた、深い森での幼少時の情景が再現され、それは天国の少年がまさに天国で観ている桃源郷的風景と重なりあう。次の連で語られる羊や牛の鳴き声も描写される〕

〔歌  第2連〕

(キリストに洗礼を施した)ヨハネ様が子羊(イエスを隠喩)を一頭お放しになり(イエスを殺すためベツレヘムの子供の皆殺しを命じた)ヘロデ王がそれをじっと狙っているけれど、僕達は、辛抱強い、罪無き、その愛らしい子羊を無事死出の旅路に導く(という名誉ある大役を任されている。)。
  Johannes das Lammlein auslasset, Der Metzger Herodes drauf passet,Wir fuhren ein geduldig's, Unschuldig's, geduldig's,Ein liebliches Lammlein zu Tod!

(使徒の一人)聖ルカ様が(僕らに供そうと直々に)何のためらいも気遣いも無く牡牛を屠ってくれる。ワイン(キリストの聖なる血、あるいは天国の飲み物ネクターを象徴)も天国の木樽からただで飲み放題だし、なんと天使たちが僕たちにパンを焼いてくれるんだ。
  Sankt Lukas, der Ochsen tat schlachten Ohn' einig's Andenken und Achten, Der Wein kost' kein' Heller Im himmlischen Keller,Die Englein, die backen das Brot.

〔 間奏 No.2: 極めて短い。 次の第3連では歌詞に呼応して、鹿や野うさぎが突然飛び出てきたり、魚が泳いで集まってくる情景などがオーケストラ伴奏によって描かれる。〕

〔歌  第3連〕

(天使たちは)天国の畑に生えるあらゆる種類の素晴らしい野菜にも目を配っていてくれて、美味しいアスパラガス、豆など欲しいものは何でも好きなだけお皿に山盛りもらえるよ!
   Gut Krauter von allerhand Arten, Die wachsen im himmlischen Garten!Gut Spargel, Fisolen Und was wir nur wollen! Ganze Schusseln voll sind uns bereit!

美味しい林檎、美味しい梨に、美味しい葡萄 園丁達が好きなだけ採らせてくれる。牡鹿、野兎が大道に飛び出して来て、僕ら目がけて走ってくる。(だから狩の必要も無い。) 
   Gut Apfel, gut Birn und gut Trauben, Die Gartner, die alles erlauben.Willst Rehbock, willst Hasen,Auf offenen Strasen Sie laufen herbei!

祝祭日が来ると、あらゆる魚たちが群をなして嬉々として泳ぎ近寄ってくるので、聖ペテロ様(もとは漁師)が早速網と餌を携えて天国の池に走り込んで(捕ってきてくれる。)それを調理してくれるのは勿論聖女マルタ様(キリストが家を訪れたとき懸命に調理し食事を供した)にきまってる!
    Sollt' ein Festtag etwa kommen,Alle Fische gleich mit Freuden angeschwommen! Dort lauft schon Sankt Peter Mit Netz und mit Koder Zum himmlischen Weiher hinein,  Sankt Martha die Kochin mus sein!

〔 間奏 No.3: ごく短い「鈴・幼少」のモチーフの後、冒頭の「歩み」の前奏が再現されるが、次の第4連で述べられる聖女チェチーリアの音楽とそれにあわせて屈託無く大胆に踊る1万1千の処女たち(聖女ウルスラの従者)の様子も薄絹のような管弦楽法で表現される。〕

 〔歌  第3連〕

僕らが聴く音楽は、地上の如何なる調べも比較にならない(ほど素晴らしい)。 (聖女ウルスラと一緒に惨殺された)1万1千の処女らも恥らう事も無く踊っている。聖女ウルスラ様はそれをご覧になって微笑んでいらっしゃる!
   Kein Musik ist ja nicht auf Erden.  Die unsrer verglichen kann werden, Elftausend Jungfrauen  Zu tanzen sich trauen!  Sankt Ursula selbst dazu lacht!

      僕らが聴く音楽は、地上の如何なる調べも比較にならない(ほど素晴らしい)。(斬首の失敗の後3日間生き延びその間神を賛美する歌を歌い続けたという伝説の殉教者で音楽の守護聖女)チェチーリア様とその一族がここの宮廷楽士だもの!楽士たちの天使の歌声が五感を活気付けみんなを悦びに目覚めさせてくれるよ。 
  Kein Musik ist ja nicht auf Erden, Die unsrer verglichen kann werden.Cacilie mit ihren Verwandten, Sind treffliche Hofmusikanten! Die englischen Stimmen Ermuntern die Sinnen,  Das alles fur Freuden erwacht.

〔短い後奏:  ハープが少年の遠ざかり消え行く足音を表現し、 最後はコントラバスの再弱音(闇・無)のみが残る。〕
 
2008年9月12日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。


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