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ベートーヴェン 交響曲第3番 『英雄』
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ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン(1770−1827)作曲
交響曲第3番 変ホ長調 作品55 『英雄』 (1804年初演)
1776年の米国独立宣言で「生命、自由、幸福追求」が、そして1792年以来のフランス革命では「自由、平等、同胞愛」が謳われるなか、ナポレオン・ボナパルトの欧州での破竹の進撃は、ベートーヴェンの眼には神(王制・皇帝制)達の特権である火を奪い人類(平民)にそれを与えて光・自由・喜びをもたらしたギリシャ神話のプロメテウスが二重写しに見えた。 ちなみにプロメテウスは、ゼウスから山頂に張り付けにされ肝臓を毎日ハゲタカについばまれるという劫罰を受ける。 それに匹敵する勇気と犠牲を伴った英雄的行為への尊敬、憧憬、感謝、賞賛の念が、この交響曲の根底にあろう。 ベートーヴェンは、 本曲の最終楽章の主題として、自作バレエ『プロメテウスの創造』の主題を直接引用するが、その意図は明白である。 ベートーベンにとって啓蒙 (En−LIGHT−en-ment 光を与えること) 運動のアイドルであったナポレオンは、本曲が彼に献呈されようとした矢先に自ら皇帝に即位し、落胆・激怒したベートーベンは「ボナパルト」の名前を紙が破れるほど執拗に総譜の表紙から消し去っている。 交響曲第3番は、ナポレオン云々を超越した普遍性を持つ傑作であり、後年8曲の交響曲の中で一番気に入っているとベートーベンが語ったエピソード(その時点で晩年の『第九』は出来ていなかった)は有名である。 当時のシンフォニー作曲技法からすると幾つもの「掟破り」が大胆に行なわれた、画期的超大作でもある。
<第1楽章 Allegro con brio >
もったいぶった厳かな序奏部を排し、決然とした和音を二度響き渡らせて、3小節目からはもう第一主題が始まる。 決意、喜遊、激しい戦い、真理(光)への希求、はやる動悸などが描かれる。展開部にフーガ(しりとりのような教会音楽技法: 真理の追求)が用いられた事、 従来つけたし的であった終結部(コーダ)が、展開部(中間部)を再現する部分として大幅に拡張され3部形式(ABA’)ではなく、ABA’B’4部形式 という『英雄』に相応しい未聞の大掛かりな構築になっている。
<第2楽章 葬送行進曲 Marcia funebre: Adagio assai >
文字どうりの英雄的死と天国での幸せな逍遥・安寧を描くとともに、後年『第九』の第一楽章終結部で葬送行進曲が用いられたのと同様、 『英雄』が避けて通れない世俗的先入観・過去を葬り去る儀式的「葬送」(例:フリーメーソンの昇段儀式)も象徴的に意図されている。 中間部の眩い壮大なハ長調のコードは、 当時のウイーンを席巻したハイドン作曲『天地創造』(1799年初演)の光の創造(ハ長調和音)が念頭にあろう。 (ベートーヴェンは 『第5』、『第九』 でもハ長調を原光の象徴として扱っている。 バレエ『プロメテウスの創造』もハ長調で書かれている。)
<第3楽章 スケルツォ Scherzo: Allegro vivace >
充溢した生命力、ユーモアと繊細さを備えたスケルツォ。 中間部のトリオ(「三」声部が語源)では、 ホルンが勇壮で豊かな三重奏を奏でる。 変ホ長調(bが3つ)、3拍子、単純な3構成音による主題や和音の選択を鑑みて、教会(三位一体)、ピタゴラス派、フリーメーソン(ベートーヴェン支援者の重要メンバーたち)が重要視する数字「3」を『英雄』の象徴と作曲者が捉えていたのは明らかであろう。
<第4楽章 フィナーレ Finale: Allegro molto >
主題と変奏の技法が、展開部や再現部を備えた従来のソナタ形式と渾然と融合し、誠に斬新なスケールの大きいフィナーレとなっている。 提示部では『プロメテウス』の主題が変奏され、火 (自由) が世界に普及してゆく様と人々の変容・歓喜が表現される。 展開部では、フーガ技法も用いて苦難の中での粘り強い追求が描かれる。 再現部では、 プロメテウスの主題が、今度は開放感と喜びを感じさせるフーガによって伸びやかに受け継がれてゆく。 歓びのクライマックスが一時鎮まると、犠牲を払い今は天国に居る『英雄』に想いと感謝を贈る讃美歌(木管そして弦楽)が流れ、逍遥する彼の姿が描かれる。 それが彼岸に遠のくと、雄叫びの様な勝利と歓喜の音楽が鳴り渡り、この雄大な交響曲を締めくくる
2008年5月16日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。
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