曲目解説集

ベルリオーズ 幻想交響曲 

エクトル・ベルリオーズ(1803−1869)

幻想交響曲 作品14 (1830年初演)

ベートーヴェンの晩年、そしてシューベルト、シューマン等と同じ時代を生きたとは思えぬ近代的な管弦楽法と各々標題が付いた破天荒な5楽章形式。 恋人のメロディーを全楽章に登場させる技法(イデー・フィクス; 当時の精神医学用語で固定観念或いは命題)はワーグナーの楽劇に深い影響を与えた。 映画音楽「スター・ウォーズ」のダース・ベーダ、王女レイアなどのテーマの扱いも、幻想交響曲とワーグナーに遡ると筆者は感じる。 当時激しい賛否両論を巻き起こした本曲は、西洋音楽史上異彩を放ち且つ極めて重要な作品である。

1827年パリを席巻してシェークスピア・ブームを興した英国劇団主演女優ハリエット・スミスソンへのストーカー的片恋慕をきっかけに作曲された経緯は有名である。 ちなみに交響曲冒頭の序奏で第1ヴァイオリンによって切々と歌われる旋律は、12歳の時一目惚れした18歳の少女エステルへの気持ち・思い出をこめた彼の初期歌曲「エルミニー」のメロディーであり、主人公の悶々とした切実・純粋な思いが満ちてている。 

作曲者自身表題とプログラム解説を残しており、その引用部分は括弧で示した。

<第一楽章> 「白日夢ー激情」 Largo; Allegro agitato e appassionato assai

「或る若い音楽家」が「夢描いてきた理想の女性」に衝撃的な一目惚れをした心情が描かれる。 即ち、前述の鬱(うつ)的な悶々とした前奏に続く躁的なアレグロは、 恋人のテーマ(固定命題)を紹介し、「根拠のない幸福感」、「精神錯乱した激情」、(事実無根の)悪い噂を聞いての「激昂、嫉妬」、猜疑心などが赤裸々に伝えられる。 最後は、恋人が「宗教的な癒し」を与える神々しい存在として崇められ、祈り(アーメン)によって締めくくられる。 第5楽章における冒涜(ぼうとく)の宴の淫婦と対照をなす。

<第2楽章> 「舞踏会」 Valse: Allegro non troppo

夜遠くの細波のような喧騒が次第に近付いて、シーンは絢爛(けんらん)たる舞踏会となる。 大勢の中に「恋人の姿」を驚きをもって観止めた瞬間から、若き音楽家は「心を乱し」ワルツは意識の背景に退く。 彼の目は(多分踊りの外、或いは物陰から)彼女の踊る姿をひたすら追う。 やがて彼女への視界も遮られ舞踏会は大団円を迎える。 通常メヌエットかスケルツォであった3拍子の楽章に、ワルツを用いた発想も見事だ。

<第3楽章> 「野原の風景」 Adagio

「田舎での夏の夜、彼は遠くに二人の羊飼いが掛け合いに興じるのを聴」き(舞台上のイングリッシュ・ホルンと舞台裏のオーボエ)、「周囲の風景」や「微風が木々を揺らす」様をみて、(彼女に関しての)「希望」を感じ「珍しく心中に安らぎを覚え」、そして彼女と一緒になれるという「心弾む空想」を抱く。 「でも彼女が私を騙しているとしたら!」ーー 「こうした希望と恐れの交錯」ーー 「幸福感は遠くの暗い予兆的な雷鳴(2組のティンパニー)に乱され」、「最後にこちらの羊飼いが再び呼びかけるが、もはや応答はない。ーーー「遠くの雷鳴の音、孤独、静寂(拒絶)」

<第4楽章> 「断頭台への行進」 Allegretto non troppo

「音楽家は恋に破れたことに絶望し、アヘンで服毒自殺を試みる。」 「死に至らしめるには量が足りず、昏睡状態の夢の中で恐ろしい光景を見る。」 即ち(絶望と嫉妬のあまり)彼女を殺してしまった自分自身が「裁かれて死刑宣告を受け、そのまま断頭台へ引っ立てられ処刑される様」を観るのである。 前半は裁判での論告・陳述・宣告を描写する(バスーン等)。 やがて隊列は群集が興奮してはやし立てる中を進む(金管)。彼が断頭台で彼女の美しい面影を今生の名残りに思い描いている(クラリネット・ソロ:固定命題)最中、ギロチンが断頭し、弦のピツィカートは首がバウンドする様子を生々しく描く。 そのまま処刑終了を布告する金管・打楽器のファンファーレが響き渡る。

<第5楽章> 「(魔物たちの)安息日の夜の夢」 Largetto; Allegro

本楽章はあたかも一巻の絵巻を見るが如くに構成されている。 悪夢は続き、「彼の葬礼に集まったありとあらゆる魔物たち」の宴の真っ只中に、自分を見出す。 序奏は、不気味な暗闇の中、怪物たちの「奇声、唸り声、哄笑」で始まり、 やがて恋人(Ebクラリネット)が極めて軽薄に登場し、怪物・魔女達の大歓声に迎えられる。もはや彼女には「洗練され清楚な性格」はかけらも無く、「淫らな狂宴に交わる」のである。 教会からの弔鐘と葬礼ミサ『怒りの日』(ディエス・イレ)が響くと一同は一瞬ひるむ。 しかし『怒りの日』の音楽を滑稽にからかいながら変奏し、 教会音楽の真髄であるフーガ(しり取りで真理への導きを象徴する技法)までも意図的に蹂躙して、狂乱の大フーガを現出させる。 そのまま享楽の乱痴気騒ぎの頂点へと突き進んでゆく。、 鐘、2台のハープ、2組のティンパニー、2台のチューバによるユニゾン、Esクラリネット、舞台裏のオーボエの効果および巨大な編成の使用は、 管弦楽史上特筆されよう。


小松長生

2007年7月13日 セントラル愛知交響楽団定期演奏会プログラムの曲目解説として書かれたものです。



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