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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
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ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840−1893)
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35 (1878作曲、1881年初演)
当時タブーとされた同性愛の噂の渦中での若きアントニナ・イワノワナとの結婚は短期間で破綻し、チャイコフスキーは入水自殺を図った。(1877年) そのままスイス、イタリアでトラウマからの回復と創作活動に務め、1878年春にスイスでたった1ヶ月で本曲を書き上げた。 ところが余りにも難しく斬新なため独奏者が見つからず、ようやく3年後に世界初演された。 今でこそ自国の民謡や踊りを題材にする事は当然視されるが、 この協奏曲は同時期の交響曲第4番とともに、ロシア・ウクライナ民謡風のメロディー(第1楽章)と踊り(第3楽章)そして静養地イタリアのカンツォーネ(第2楽章)を大胆に取り入れていて、そうした新しい潮流(ボロディンなどの国民学派)へのエール及び参画であると受け取られた。 またチャイコフスキーが自分の性向の事を、逃れ得ぬ宿命的な「罪」と捉えていたことが、作品内容からも伺える。
<第1楽章> Allegro moderato - Moderato assai
美しい民謡風の主題とともに、前述の内的相克、苦しみもがく様(さま)が表現される。 中間部の暗いオーケストラの部分は闇夜の模索を、そして長大で難しいソロ・カデンツァは絶望的な問いかけと幸福の希求を表現する。 カデンツァの終りに天使・愛を象徴するフルート・ソロが癒すように参入する瞬間は秀逸である。
<第2楽章> Canzonetta : Andante
歌の国イタリア風の「カンツォネッタ」(小さなカンツォーネ)と記された第2楽章であるが、冒頭のロシア正教風の木管コラールに続く哀しいヴァイオリン・ソロによって、誠にロシア的な詩(うた)になっている。 束の間の日差しは忽ち曇り、伴奏のシンコペーションは揺れる胸中の鼓動を表す。 フルートやクラリネットのソロは、静かに同情して愛をもって見護る。 間髪をいれずに第3楽章が始まる。
<第3楽章> Finale: Allegro Vivacissimo
ウクライナのコザックを思わせる2拍子の激しい踊り。 木管、ヴァイオリン・ソロの掛け合いからなる素朴な第2主題は、巧妙に変奏されながら、やがて第1主題である激しい踊りに戻って来る。 最後は、困苦を克服するエネルギッシュな勝利への疾走で締めくくられる。
2007年9月14日 セントラル愛知交響楽団定期演奏会プログラムの曲目解説として書かれたものです。
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