曲目解説集

ムソルグスキー 「展覧会の絵」

モデスト・ムソルグスキー(1839−81)作曲/モーリス・ラヴェル(1875−1937)編曲

展覧会の絵 (1874年ピアノ版作曲、1922年ラヴェル編曲オーケストラ版初演)

早逝した親友ヴィクトール・ハルトマン(画家・デザイナー・建築家)の400点にもわたる遺作展覧会を観て作曲した。ハルトマン自身も描かれているパリの地下墓地遺跡(第8曲 カタコンベ)の絵に続く『死者との会話: プロムナード 5』では、ムソルグスキー自身の言葉によると「亡きハルトマンの霊魂が、(手さげランプを手に)聖者たちの頭蓋骨のところへ私を導き、彼らに呼びかけた。すると頭蓋骨は(呼応して)内側からほのかに輝きだした」とするイメージが表現されている。芸術家としての崇高な使命を無念の死によって遮られた無二の親友ハルトマン。亡き魂からの無言のメッセージを感じ彼の遺志を継ぐのだとムソルグスキーが決意して出来たのが本曲であると筆者は信ずる。

ラヴェルは先達ドビッシーとともにフランス印象派音楽(画家モネ、ルノワール等と共鳴)を発展させた。 『ボレロ』でも知られるラヴェルは「オーケストラの魔術師」と賞され、彼の色彩豊かで絵画のようなオーケストラ版(1922年)によって本曲は世界的に有名になった。

オペラ、バレーの衣装デザインやキエフの大門の完成予想図をふくむ10点と、5つのプロムナード(展示室を結ぶ回廊)から成る。

< プロムナード(回廊)1 > Promenade
有名なトランペット・ソロで始まる幕開けに相応しい音楽。 ロシア・ウクライナ正教の合唱祈祷曲のスタイルを想起させる。
< 1.グノームス > Gnomus
奇怪な容貌の地中の精(ラテン語Gnomus)をあしらったグロテスクなくるみ割り器の絵
< プロムナード(回廊)2 > Promenade
ホルンと木管群だけによる穏やかな歩み。
< 2.古い城 > Il Vecchio Castello
アルト・サックスのソロが、 中世イタリアの古い城で吟遊詩人が歌うカンツォーネを表す。 ラヴェルがサックスをオーケストラに使用したのは画期的であった。
< プロムナード(回廊)3 > Promenade 
冒頭同様トランペットで始まる。
< 3. ティルリー > Tuileries
パリのティルリー公園で、口喧嘩する子供たちや騒がしい子守女たち。
<4.ビドロ > Bydlo
ポーランドの貧しい農夫と牛車の絵。 珍しいチューバのソロが、牛の鳴き声と重く軋む牛車、そして農夫の生活の苦しみ等を伝え聴く者を憂鬱にする。
< プロムナード(回廊)4 > Promenade
ビドロを見た重い気分を反映してか、プロムナードが始めて暗い短調で奏される。
< 卵の殻をつけたままのヒヨコのバレー> Ballet des Poussins dans lours Coques
バレー衣装のスケッチ。 前曲と対照的な軽快でユーモラスな音楽であり、フルートやヴァイオリン等で可愛い雛の泣き声や羽ばたきが描写される。
< サムエル・ゴールデンベルクとシュミューイ > Samuel Goldenberg und Schmuyle
二人のユダヤ人の絵。 借金の返済を要求する高圧的なサムエルと容赦と哀れを請うシュミューイレ(トランペット・ソロ)が交互に対照的に表現される。
< 7.リモージュの市場 > Limoges - Le Marche
フランス中部の町リモージュの市場の風景。「誰某が入れ歯だ」、「牛が一匹いなくなった」、「近所の某は酒びたり」などの他愛も無い噂話を「凄いニュースよ」とぺちゃくちゃ大騒ぎする市場の女たちが、見事な管弦楽法で描かれている。
< 8. カタコンベ −ローマ帝国時代の墓> Catacombae ? Spulchrum Romanum
< 死者の言葉による死者との対話(プロムナード 5)>
Cum Mortuis in Lingua Mortua (ラテン語)
この2曲は繋がっている。 手さげランプの灯火を頼りにパリの地下に残されたカタコンベ(ローマ帝政の迫害を避けたキリスト教徒たちの地下墓地)を案内人と共に観るハルトマン自身が描かれる。 激しく運命的な金管群を中心にした「カタコンベ」に続いて、 亡きハルトマンの霊と対峙する「死者との会話」が幻想的に微光のなかで奏される。 この部分がプロムナード(回廊)の主題に基く意味は重大である。 即ち、 ムソルグスキーは、ハルトマンの手さげランプを拾い上げ、彼の遺志を継いで困難な創作の道(回廊)を歩む決意をしているに違いないからである。この後、締めくくりの2曲に参入する。
< 9.鶏の足の上に立つ小屋 − バーバ・ヤーガ>
La Cabane sur des Pattes de Poule ( Baba-Yaga)
< 10. キエフの大門 > La Grande Porte de Kiev
この2曲も続けて演奏される。 バーバ・ヤーガは箒にまたがって空を飛ぶロシヤ民話の魔女。それをモデルにハートマンは上記の奇怪な時計をデザインした。したがってチク・タクというリズムは時計を表す。 終曲の「キエフの大門」ではプロムナードの主題がロシア正教賛美歌のスタイルで壮麗に歌い上げられ、キエフ中の金色の教会の鐘が祝福して鳴り響く様が目に浮かぶ。筆者はキエフ滞在中に、未だ見つからぬ伝説の「大門」がどこかに埋まっていて、その大門の上に太陽が昇ったときに祈れば病は癒え全ての願い事は叶うという伝説が今でも残っていると聞いた。 ロシアのアレキサンダー2世は、鬱積した民意をそらそうとハルトマンに「キエフの大門」の設計・建築を委嘱したが、キャンセルとなった。ムソルグスキーは、遺志を継ぎ親友の果たしたかった夢を音楽で実現させた。



2006年8月3日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラム解説として書かれたものです。



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