フレデリック・ショパン (1810−1849)
ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21(1830年初演)
ショパンがまだワルシャワ音楽院の学生で19歳のとき仕上げた最初のピアノ協奏曲であるが、出版順の都合で第2番となっている。彼はこの曲でピアニストとしてワルシャワ・デビューを飾り、とりわけ第2、第3楽章が好意的に受け止められた。
<第1楽章> Maestoso
文豪ゲーテに代表される「疾風怒濤」の時代を反映し、内憂、祈りなど感情面がダイレクトに表現される。形式面では、オーケストラの前口上で始まりやがて独奏とオーケストラが協調、対照してゆく当時の標準的なコンチェルト形式をとっている。
<第2楽章> Larghetto
「彼女を毎晩夢見ながら6ヶ月間一言も声をかけられなかった。」とショパンが語るコンスタンティア・グラデュコウスカへの慕情を、イタリア・オペラのアリアとレシタティーヴォのスタイルで、ピアノによって表現した愛の無言歌。幼少時にこの楽章を聞いてピアニストになる事を決意した音楽家が実に多い。
<第3楽章> Allegro vivace
協奏曲は「お堅いものだ」と考えた当時の聴衆の意表をついて、自国ポーランドの民衆の踊りであるマズルカをショパンは第3楽章で思い切って用い、大喝采を受けた。マズルカは、急緩のテンポを持つ3拍子の踊りで、2拍目や3拍目にアクセントを移動させたりする独特のリズムに特色がある。マズルカは、18,19世紀にヨーロッパで広く愛され、ショパンがピアノ曲にマズルカをポロネーズとともに本格的に取り上げてその人気が決定的となった。
2006年5月19日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。