エドワード・エルガー (1857−1934)
イギリスの田舎出身の平民で、ピアノ教師やヴァイオリンで生計を立てながらほぼ独学で作曲を学んだから、晩年のあまたの栄誉とは裏腹に、彼が世に認められたのは比較的遅かった。ようやく「エニグマ変奏曲」(1899)「威風堂々」(1901)によって一躍世界的に認められるところとなった。エルガーの才能を早くから信じ生涯を通して篤く支えた人物が二人挙げられる。 一人はエルガーが31歳のとき出会った8歳年上のキャロライン・アリス・ロバーツ。エルガーにピアノを習っていた彼女から自作の詩「愛の恩寵」を贈られたエルガーは、音楽のラブレター「愛の挨拶」を作曲して彼女に献呈し、国民的英雄の陸軍大将の娘であった彼女と大反対を押し切って翌年1889年に結婚した。今一人は「エニグマ変奏曲」の感動的な第9変奏“Nimrod” で描かれる オーガスト・ジェーガーで、彼のノヴェロ社が「エニグマ」「朝の歌」も含めた数々のエルガーの作品を出版し世に出した。
<作品解説は、プログラム順ではなく年代順>
愛の挨拶 作品12(1888年)
原曲は、ピアノによる Carolyn Alice Roberts 嬢への答礼、ラブレターである。オーケストラ総譜に“ キャリス(Calice)の為に”と記されているが、キャリスとは彼女の愛称であり、1890年に生まれた娘はキャリスと名付けられた。
エニグマ(なぞの)変奏曲 作品36 (1899年初演)
ふとした想いつきから主題と14の変奏曲によって、イニシャル付のなぞかけで作曲者本人、夫人も含む14人(とブルドッグ1匹)のことを特徴を捉えながらユーモラスに描いた作品。もちろん登場した友人たちに献呈されている。いわゆる内輪ギャグだが、音楽の素晴らしさが普遍性を得てエルガーに世界的名声を与え、さらには数年後に「英国第二国歌」と称される「威風堂々」(1901)を書く機会ももたらした。
<主題> 主題の提示のみ
<第1変奏> C.A.E. :Carolyn Alice Elgar (キャロライン・アリス・エルガー)
静かで温かいエルガー夫人の肖像画をまず最初に描いた。
<第2変奏> H.D. S-P : Stuart-Powell(H.D.ステュアート・ポーウェル)
室内楽仲間のピアニスト。ヴァイオリンのせわしないテンポで跳躍する難パッセージが笑いを誘う。
<第3変奏> R.B.T : Richard Baxter Townshend (リチャード・B・タウシェンド)
笑わせるのが得意なアマチュア役者。低い声から裏声への突然の跳躍などが表現される。
<第4変奏> W.M.B. : William M. Baker (ウイリアム・M・ベイカー)
精力あふれ豪放な(オジサンという感じ)田舎の大地主
<第5変奏> R.P.A. : Richard P. Arnold (リチャード・P・アーノルド)
有名な詩人の息子で、うわの空の夢見心地で自分の世界に浸るかと思うと、突然快活になる。8分の12拍子のゆったりとしたテンポで書かれている。
<第6変奏> Ysobel : Isabel Fitton ( イサベル・フィットン)
アマチュアのヴィオラ奏者。勿論ヴィオラ・ソロが登場する。
<第7変奏> Troyte : Arthur Troyte Griffith (アルトゥール・トロイテ・グリフィス)
建築家で大の議論・口論好き。嵐のような攻撃的な気性が誇張される。どの時代どこにでもこのような人物はいるものである。
<第8変奏> W.N. : Winifred Norbury (ウィニフリッド・ノーバリー)
“嵐”の後に、典雅な老貴婦人を持ってくる事自体さすがだ。中間部では貴婦人たちの優雅なおしゃべりと笑い声(フルート)が木管を中心に聞こえてくる。
<第9変奏> Nimrod : August Jaeger (アウグスト・ジェーガー)
エニグマ変奏曲を世界的に有名にした感動的な部分。 ジェーガーは出版者そして親友としてエルガーを支えた。「夏の夜長に、彼(ジェーガー)はベートーヴェンの偉大さと緩やかな楽章がいかに深遠かを私に熱っぽく語った。」との思い出、そしてベートーヴェンの音楽が反映している。Nimrod は旧約聖書のノアの息子で狩人だが、Jaeger はドイツ語で狩人を意味するので、ニックネームとして使っているのであろう。
<第10変奏> Intermezzo. Dorabella : Dora Penny (ドーラ・ペニー)
間奏曲: オーボエとクラリネットの16分音符が、いつも言葉が愛らしく言いよどむ若い女性の口真似をする。愛称ドラベラは、モーツァルトのオペラ「コジ・ファン・トゥッテ」の登場人物から由来。 ドーラはさぞあどけなく微笑ましい女性であったのだろう。
<第11変奏> G.R.S. : Dr. George Robinson Sinclair (スィンクレアー医師)
いつも指揮していて笑いを禁じえないのがこの曲。足の短いブルドッグがトコトコ歩き廻り、ワン!ワン!と不躾に吠え立て、水に転び遊ぶ様が直裁に表現され医者はまったく登場しない。「OOさんの家」というと真っ先に喧しい犬が浮かんでくる経験は、誰もが持っているに違いない。
<第12変奏> B.G.N. : Basil Nevinson (ベイシル・ネヴィンソン)
室内楽仲間のチェリスト。内省的なチェロそして弦楽器が強調される。
<第13変奏> Romanza.***
*** の記号は「不在」を意味し、作曲当時その人物 Lady Mary Lygon ( マリー・リゴン婦人)はオーストラリアへ航海中であった。最弱音のヴィオラとクラリネット・ソロは海原に浮かぶ汽船の中の婦人に思いをはせるシーン。
<第14変奏> Finale. E.D.U. : ( “ Edu” Elgar)
終曲。 エルガー本人。 エルガー夫人は彼を「エデュー」の愛称で呼んでいた。創作に試行錯誤して悶え苦しみ、やがて勝利(作品)にたどり着く姿を描いた自画像。同時に感動的な第9変奏など、曲全体が回想され壮麗に幕を閉じる。
朝の歌 作品15−2 (1901年初演)
もともとヴァイオリンとピアノの為に書かれたもので、「夜の歌」とペアをなす。「エニグマ」の大成功のあと、“Nimrod”こと友人ジェーガー(出版社のノヴェロ社)の勧めもありオーケストラ曲に編曲され人気を博した。約3分の魅力的な曲だ。
チェロ協奏曲 ホ短調 作品85 (1919年初演)
エルガー最後の大作である。悲惨な第1次世界大戦の精神的傷跡と翌1920年には最愛の妻を亡くす事になる晩年の孤独とで、エルガーの作風は深刻で回顧的になっている。4楽章からなるが、1,2楽章は低音のフェルマータで繋がっており、楽章間は有機的に連関しあっている。
<第1楽章>Adagio / Moderato
独吟的なJ.S.バッハの無伴奏チェロ組曲を明らかに念頭に置いた前奏に続き、 ヴィオラから始まる哀歌と魂の叫びが繰り広げられる。
<第2楽章>Lento / Allegro molto
最初の2小節で、第1楽章の冒頭モチーフが、チェロ・ソロによってリュート(中世のギターのようなもの)風にピツィカートで短く奏される。そしてすぐさま軽快で伸びやかな本体部分が始まる。
<第3楽章>Adagio
深遠な祈り。エルガーがひざまずいて天を仰いでいる姿が見えるようだ。中間部のシンコペーションは心の動悸。
<第4楽章>Allegro
「威風堂々」(シェークスピア『オセロ』の海戦が題材)にも共通する戦い(内的葛藤)を表すリズムやフレーズが基調となる。やがて左記は昔を回顧していたシーンである事が明白になり、ゆっくりと優しくノスタルジックさを増してゆく。 そして第3楽章の「祈り」が最弱音(ppp)の伴奏とともにチェロ・ソロで環来する瞬間は感無量である。曲は第1楽章冒頭のチェロ独吟と第4楽章のテーマによるごく短いコーダで締めくくられる。
2006年9月15日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。