セルゲイ・ラフマニノフ (1873−1943)
ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 作品30 (1909年初演)
ラフマニノフは珠玉のロシア語の歌曲を創った。それらの歌曲では美しい歌の旋律は勿論の事、ピアノ・パートがときに歌と同等以上の重みをもち難しくかつ洗練された役割を演じる。 ちなみにピアノ協奏曲第3番はピアノ・ソロ譜だけでなくオーケストラ・パート譜および伴奏指揮の難しさでも知られる。ピアノ協奏曲第2番(1901)の成功で世界的名声を得たラフマニノフは、1909年の最初の米国ツアー(ピアノ・ソロとこの協奏曲の演奏)の為に本曲を書いた。そのツアーのNY公演で、当時ニューヨーク・フィルの指揮者となっていたグスタフ・マーラーが独奏者のラフマニノフをほったらかしてNYフィルに長時間の徹底的な猛練習をつけた様子がラフマニノフの手記に残っている。
<第1楽章>Allegro ma non troppo
ピアノ・ソロがオクターヴの単旋律で第1主題を歌い、男性声域に近いヴィオラが受け継いでゆく。幾つかの主題をピアノとオーケストラが呼応あるは混然と溶け合って発展させてゆく。乱れる心中を吐露するように始まるピアノ・カデンツァはその中間部で天使の子守唄のようなフルート、オーボエ、クラリネット、ホルンのソロが加わり、次第に鎮まってゆく。そして短いコーダで楽章は終わる
<第2楽章>Intermezzo: Adagio
オーケストラによる祈りの前奏のあと、ピアノ・ソロがオーケストラと絡みながら瞑想的ときに熱情的に謳い上げる。中間部のクラリネットとバスーンの旋律に乗った短いワルツが「祈り」のオーケストラ後奏に流れ込む。新たなエネルギーを得て再び始動するようなピアノ・ソロの橋渡しにより、そのまま第3楽章が始まる。
<第3楽章>Finale: Alla breve
決然とした行進と軽妙なスケルツォの後、中間部は第1楽章の冒頭主題が回想され内省的かつ回想的な境地に分け入ってゆき、ピアノの独吟によって最深部に達する。再現部でホームストレッチに入り、高らかに謳い上げる解放的なコーダは卓抜した管弦楽法と相俟って素晴らしい最高潮を創り上げる。歓喜の中を駆け抜けるように曲は締め括られる。
2007年1月26日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。