|
ラフマニノフ交響曲第2番を 指揮するにあたって
|
マーラーの交響曲第2番「復活」と並んで、ラフマニノフの交響曲第2番は私の十八番(おはこ)だと周囲は思っている。また、とりわけラフマニノフの2番は、節目の際に不思議とプログラムに載る。
1988年に当時ボルティモア響(BSO)音楽監督のデービッド・ジンマンに引き抜かれてBSOのアソシエート・コンダクターとして赴任したとき、与えられた最初のコンサートがラフマニノフの交響曲第2番だった。駆け出しの若手指揮者には荷の重い壮大な曲であるが、ジンマンにアイロンをかけたように仕込み抜かれたBSOは、あたかも自動操縦のハイテクジェット機のように勝手に素晴らしい動きと演奏を開示し、私は指揮台で度肝を抜かれた。驚いて彼等のパートを見てみると、ジンマンのボーイング(弓使い)が緻密に書きこまれている。 しかも通常のいわゆる「上下」だけでなく、彼の発明による幾種類もの数学の記号のような書き込みが溢れている。私は、パート譜とボーイングがどれほど演奏に深い影響を及ぼすかを身を持って体験できた。其れ以降、このラフマニノフの2番他幾つかの曲を指揮するときは、自分のパート譜を持ち歩くようになった。
1993年チャイコフスキー・ホールのモスクワ放送交響楽団定期演奏会に呼ばれたとき、敢えてラフマニノフの2番を選んだ。それを知ったボリショイ劇場オケの友人達は翻意するようしきりに勧める。唯でさえプライドの高いモスクワ放送響はラフマニノフの演奏には高い誇りを持っており、初対面の遠い国からきた指揮者が取り上げるのは無謀だと考えたのである。郵便事情が悪いため私のパート譜を前もって送れず、リハーサル初日当日配布することになった。それまで彼等が慣れ親しみ練習してきたパート譜とは180度正反対の私の楽譜を見たモスクワ放送響は騒然とし、名物(ロシアでとても有名な奏者の由)の首席チェロのおじーちゃんは、露骨にプイ!と顔をそむけた。私は、構わず全曲通し必要な幾つかの箇所を押さえると、「私は、全て棒で示したしパート譜にも明快に書いてあるので、あとは楽員皆さんの問題である。」と言って、初日の練習を切り上げた。その頃までには、楽員の目の色はかわり、各パート(第2ヴァイオリン、ビオラ等)が全員で、首席奏者の怒号・叱咤のもとパート練習を猛然と始めた。コンサートでは8回カーテンコールを受け、終了後首席チェロのおじーちゃんが涙をためて私の控え室に現れ、まるで孫を抱くように大きく腕を広げて祝福してくれた。
2004年7月16日(金)6:45PMセントラル愛知交響楽団定期演奏会でのラフマニノフ交響曲第2番は、公開録音され8月29日(日)午後2時よりNHKーFMで全国放送される。日本ではあまり馴染みの無い曲があまねく響き渡るのを願っている。 セントラル愛知響の仲間たちとの新しい船出のシーズンで、この名曲を皆さんの前で演奏出来るのは大きな悦びだ。心より御待ちする次第である。
|
Copyright© 2001 Chosei
Komatsu. All rights reserved
無断転載禁止 |
|