曲目解説集

ラフマニノフ 交響曲第2番

セルゲイ ラフマニノフ (1873−1943) 作曲

交響曲第2番 ホ短調 作品 27(1907)

プログラム・ノート  

ベルリオーズの「幻想交響曲」最終楽章で、鐘の音とともに響き渡るキリスト教のグレゴリア聖歌「怒りの日(ディエス・イレ)」は、多くの管絃樂曲に登場するが、曲の本題として真正面に据えたものとなると、サンサーンス交響曲第3番「オルガン」とラフマニノフ交響曲第2番ぐらいに限られてくる。そして、ラフマニノフの2番は、その
深め方において前者を遥かに凌ぐ。「怒りの日」は、死後の魂たちが暗闇の中でラッパの音で起こされ、最後の審判を受けるべく引っ立てられるシーンである。 交響曲第1番とピアノ協奏曲第1番の不評、とりわけ楽員と指揮者の冷酷な態度に深く傷ついたラフマニノフは、重度の躁鬱病に苦しみ天命と信ずる作曲も4年間全く出来なくなったが、1901年藁をもつかむ想いで受けたニコライ・ダール博士の催眠・退行告白療法により4ヶ月で回復した。この過程で彼が経験した過酷な苦しみと開放の歓喜・感謝の念なくして、交響曲第2番は生まれなかったと信ずる。

第1楽章  Largo - Allegro moderato

「怒りの日」の最初の3音の音形を、その『裏返し』音形(例:冒頭の弦バス・チェロの3音)も含め執拗に繰り返す前奏は、漆黒の暗闇で目覚めた死者の魂と、召喚の合図(金・木管コラール)を表す。やがて、魂は生前の自分を告白しながら、地獄(第1主題、中間部)と天国(第2主題)の両方を垣間見る。中間部では、地が震え嵐は逆巻き(弦トレモロ)身の毛もよだつ絵図が描写される。

第2楽章  Allegro molto

風雲急を告げ、「怒りの日」はほぼ原型に近い形で現れる(ホルン等)。 美しい追憶も束の間の安息に過ぎず、最後の審判の場へ。 裁判官が振う木槌の突然の大打撃音で始まる中間部では、第2ヴァイオリンが先頭を切る不吉なフーガが展開される。フーガは恐怖で叫び惑う魂達のパニック状態を生々しく伝え、金管・打楽器の「怒りの日」モチーフによる行進曲(召喚の行列)が続く。

第3楽章  Adagio

地獄を垣間見た魂(ラフマニノフ)が、安息の夢の中で歌う、憧憬と希求の独白歌である。壮絶な孤独感と祈り。前述の「怒りの日」3音形は、メロディーと伴奏(情念・心臓の動悸)両方にあまた埋め込まれている。 クラリネット・ソロは、世界中の首席クラリネット・オーディションの最終審査で必ず要求される。このソロ及び再現部でのヴァイオリンによる主題を包み込む、木管やヴァイオリン・ソロのオブリガートは、天使の慰め・癒しを表現する。

第4楽章  Allegro vivace

イタリアの情熱的な踊りであるタランテラを用いた歓喜の踊り。暗黒期も短く回想されるが、祝福する天上の鐘の音(金管、グロッケンシュピール)が響き渡り、トロンボーンとホルンの上昇音型の行進テーマは、克服と勝利を顕す。そして壮大な讃歌が歌い上げられ、狂喜の中を駆けぬけてゆく。 かくして、この交響曲は、漆黒の闇から眩い原光へと跳躍する魂による刻明な証言である。

指揮するにあたって

マーラーの交響曲第2番「復活」と並んで、ラフマニノフの交響曲第2番は私の十八番(おはこ)だと周囲は思っている。また、とりわけラフマニノフの2番は、節目の際に不思議とプログラムに載る。  1988年に当時ボルティモア響(BSO)音楽監督のデービッド・ジンマンに引き抜かれてBSOのアソシエート・コンダクターとして赴任したとき、与えられた最初のコンサートがラフマニノフの交響曲第2番だった。駆け出しの若手指揮者には荷の重い壮大な曲であるが、ジンマンにアイロンをかけたように仕込み抜かれたBSOは、あたかも自動操縦のハイテクジェット機のように勝手に素晴らしい動きと演奏を開示し、私は指揮台で度肝を抜かれた。驚いて彼等のパートを見てみると、ジンマンのボーイング(弓使い)が緻密に書きこまれている。 しかも通常のいわゆる「上下」だけでなく、彼の発明による幾種類もの数学の記号のような書き込みが溢れている。私は、パート譜とボーイングがどれほど演奏に深い影響を及ぼすかを身を持って体験できた。其れ以降、このラフマニノフの2番他幾つかの曲を指揮するときは、自分のパート譜を持ち歩くようになった。 1993年チャイコフスキー・ホールのモスクワ放送交響楽団定期演奏会に呼ばれたとき、敢えてラフマニノフの2番を選んだ。それを知ったボリショイ劇場オケの友人達は翻意するようしきりに勧める。唯でさえプライドの高いモスクワ放送響はラフマニノフの演奏には高い誇りを持っており、初対面の遠い国からきた指揮者が取り上げるのは無謀だと考えたのである。郵便事情が悪いため私のパート譜を前もって送れず、リハーサル初日当日配布することになった。それまで彼等が慣れ親しみ練習してきたパート譜とは180度正反対の私の楽譜を見たモスクワ放送響は騒然とし、名物(ロシアでとても有名な奏者の由)の首席チェロのおじーちゃんは、露骨にプイ!と顔をそむけた。私は、構わず全曲通し必要な幾つかの箇所を押さえると、「私は、全て棒で示したしパート譜にも明快に書いてあるので、あとは楽員皆さんの問題である。」と言って、初日の練習を切り上げた。その頃までには、楽員の目の色はかわり、各パート(第2ヴァイオリン、ビオラ等)が全員で、首席奏者の怒号・叱咤のもとパート練習を猛然と始めた。コンサートでは8回カーテンコールを受け、終了後首席チェロのおじーちゃんが涙をためて私の控え室に現れ、まるで孫を抱くように大きく腕を広げて祝福してくれた。  2004年7月16日(金)6:45PMセントラル愛知交響楽団定期演奏会でのラフマニノフ交響曲第2番は、公開録音され8月29日(日)午後2時よりNHKーFMで全国放送される。日本ではあまり馴染みの無い曲があまねく響き渡るのを願っている。 セントラル愛知響の仲間たちとの新しい船出のシーズンで、この名曲を皆さんの前で演奏出来るのは大きな悦びだ。心より御待ちする次第である。

 上記は2004年7月16日(金)6:45PM 愛知県藝術劇場でのセントラル愛知響第68回定期演奏会のプログラムの為に書いたものです。
NHKFMで、公開録音され8月29日(日)2PM−3PMに全国放送されました。 


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