曲目解説集

ショスタコーヴィッチ交響曲第5番

ドミトリ・ショスタコーヴィッチ(1906−1975)

交響曲第5番 ニ短調 作品47 (1937年初演)

ショスタコーヴィッチがレニングラード音楽院での卒業作品として若干18歳で書いた驚異的な交響楽第1番は、瞬く間にソ連国内はもとよりベルリン(ブルーノ・ワルター指揮)、フィラデルフィア(ストコフスキー)、ニューヨーク(トスカニーニ)にて取り上げられ、若くして世界的名声と注目を集めた。ところが20世紀最高のオペラのひとつに今では数えられるオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(1932年)が、スターリン圧政下プラウダ紙を中心に「安っぽく、エキセントリックで、旋律に欠ける」などと熾烈な批判を浴び、ショスタコーヴィッチは自らの作曲家生命そして家族生活の危機に直面した。彼の交響曲を「ポルノフォニー」と呼ぶ雷同批評家まで現れた。この天才作曲家の無念は如何ばかりであったろうか?

1937年に「正しい批判に応えて書いた、ひとりのソビエト芸術家の回答」として書き上げたのが交響曲第5番である。満員総立ちの熱狂的な聴衆の支持を得、ショスタコーヴィッチは無事「市民権」を回復した。しかもこの作品は従来よりさらに内面性と完成度が増している。 今日でも内容の真偽論争が続く『ショスタコーヴィッチの証言』(1979年、ヴォルコフ著)の中で、最終楽章のコーダのことをショスタコーヴィッチは「強制され鞭打たれた歓喜」と述べているが、確認する術はない。しかしながら特筆すべきは、彼は同時期に『プーシキンの詩による4つのロマンス』(1936年/1940年初演)を書いているが、その歌曲のモチーフがフィナーレ冒頭と展開部最後のハープに各々暗号のように埋め込まれている。 ショスタコーヴィッチ同様に時の権力者の圧制に苦しんだ文豪プーシキンによる歌詞は次の通りだ。

「野蛮人の画家がおぼつかない筆さばきで天才の絵を塗りつぶす。法則のない勝手な図形をその上にあてどもなく描いている。」<中略>「天才の創造物は再びわれわれの前に以前の美しさを取り戻す。かくて苦しみぬいた私の魂から数々の迷いが消えてゆき初めの頃の清らかな日々の幻影が心のうちに湧きあがる」

このプーシキンの引用こそ、筆者が指揮者として本曲と取り組むうえで決定的な助けとなった。ショスタコーヴィッチは、当局の「強制」「検閲」をかいくぐると同時に、芸術家としての尊厳は大切に護り通し傑作を創るという離れ技をやってのけたのではないか。

「本多はこの一問一答をききながら、勲が思いがけず切りひらいた血路に喝采した。ようやく勲は、追いつめられて、大人の知恵を学んだのだ。槇子も救い自分も救うただ一つの方向を、いまや自力で見出したのだ。」(三島由紀夫著、『豊饒の海』第二巻、『奔馬』三十七章より)

<第1楽章>Moderato

激しい問いかけと怒りの冒頭、哀しい第一主題、心象の中を逍遥する第二主題(ヴィオラ)。やがて風雲急を告げ、軍靴の行進が参入。行進は第1主題を蹂躙するような無神経さで歌いながら(金管)、今や悲鳴と化した冒頭モチーフを喚起しながら、身の毛もよだつ壮大な第1主題の最強音のユニゾンへと進む。この精神的蹂躙が去ると第2主題がフルートとホルンで奏され、そのまま夢の中にしか安息が見出せないが如く眠りに落ちるように楽章が終わる(ハープ、チェレスタ等)。

<第2楽章>Allegretto

本来優雅あるいは軽快なはずのスケルツォの楽章であるが、ここではグロテスク、滑稽、そして風刺的に書かれている。中間部ではヴァイオリン・ソロがあたかも道化役のような独奏を聞かせる。

<第3楽章>Largo

ショスタコーヴィッチにとって、余人に触れさせないおそらく最も神聖な内奥を吐露した楽章であろう。漆黒の中間部では、オーボエ、クラリネット、フルートのソロが壮絶な孤独感で奏され、その感情が昂じてフル・オーケストラで謳われる。ハープとチェレスタが天使の子守唄のように奏する末尾は、天国が瞼に浮かぶような最弱の弦楽器和音で締めくくられる

<第4楽章>Allegro non troppo

誠にエキサイティングなフィナーレである。前半で短くトランペット・ソロで提示された第2主題は、静かな中間部ではホルン・ソロに始まる内省的で愛情に満ちた展開をみせる。コーダに向けて最弱音から盛り上がってゆく過程で、ショスタコーヴィッチが敢えてホルンの最低音域のグロテスクな音を多用しているのは特筆に価する。前述『ショスタコーヴィッチの証言』の引用(「鞭打たれた歓喜」)は、最終コーダが金切り声のような高音で執拗に繰り返される8分音符で伴奏されている点を指している。しかしながら作曲家の意図はともかく、この輝かしいコーダが、その後約40年にわたるショスタコーヴィッチの貴重な創作活動を勝ち取った。

2006年7月14日セントラル愛知交響楽団定期演奏会のプログラムの曲目解説として書かれたものです。


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