ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーヴェン (1770−1827)
交響曲第5番 ハ短調 作品67 (1808初演) 曲目解説
本曲の最終楽章は、燦然と輝く原光と絶対的神性を表現したハ長調3和音で始まり、ハ短調の深刻で暗い第一楽章と対照を成す。そもそもピアノで言えば黒鍵(#・b)を使わないまっさらな調であるハ長調がなぜ選ばれたのか?曲の冒頭から終結に向けての「短調から長調への超越」に関してだけ言えば、ベートーヴェンの第5番(ハ短調からハ長調へ)、第9番(ニ短調からニ長調へ)、ブラームス第1番(ハ短調からハ長調へ)、マーラー第2番「復活」(ハ短調からニ長調へ)のいずれもが、闇から光への変容を見据え象徴しているのが解る。でも何故ハ短調/ハ長調なのか?
ハイドン(1732−1809)がウイーンで初演し(1799年)その後1810年までに同市で40回以上上演された『天地創造』は、ベートーヴェンの交響曲第5番、第9番「合唱付」に直接的霊感を与えた。即ち『天地創造』の第一曲「混沌」では、闇・混沌(ハ短調)で始まり、神が光を創造した瞬間に驚愕すべき突然の最強音で合唱とトロンボーンまで含めた大オーケストラがハ長調和音を奏する。しかもハイドンは全34曲中3つの重要な場面にしかハ長調を用いていない。(1) 第1曲:神による光の創造 (2)第24曲:神による人類の創造 (3)第30曲:パラダイスでのアダムとイヴの二重唱(まだ無垢なとき)
後の第9番と同様、ベートーヴェンは第5番において、物理学者アインシュタインが数式で試みたように、音楽によって全宇宙・全世界(Welt)を表現しようと敢然と立ち向かったと筆者は信ずる。この曲を演奏するに当たって、演奏する者達は肉体的及び精神的な極限への挑戦を余儀なくされるのは必然である。
<第1楽章> Allegro con brio
ハ短調/ハ長調和音を構成する3種類の音程、完全5度、短3度、長3度の三つを根本元素として2つの主題が作られている。あまりにも有名な第1主題は長3度の2音と短3度の2音の計4音、ホルンによる第2主題は完全5度の2音が2組の計4音である。8分音符3つによるリズム・モチーフも宇宙元素のごとく普遍的に登場する。闇、混沌、福音の鐘の音(ホルン・バスーン)、最後の審判(トランペット・ティンパニー)、そして作曲者の強靭な決意が凝縮した楽章である。
<第2楽章> Andante con moto
胸中で口ずさむような冒頭の讃歌(ヴィオラ・チェロ)が、神秘を開示してゆく幻想的な転調やハ長調最強音の「原光」をはさみながら、変奏を重ねて宇宙と共鳴してゆく。呼応する木管群は天国の楽隊(天使達)である。ベートーヴェンが渾身で無限の愛と喜びを表現している。この楽章での闇は、暗黒というよりは神秘を護る闇と言えよう。
<第3楽章> Allegro <第4楽章> Allegro
この2つの楽章は続けて書かれており、混沌から光、天地創造が直接的に描かれる。第3楽章は闇(ハ短調)とホルンによる荒々しいエネルギーに始まり、中間部では教会音楽技法のフーガによって宇宙の摂理が表現されるが、それは次第に遠ざかり漆黒の闇に包まれる。闇夜を歩む様はピツィカートを中心に据えた画期的な管弦楽法で描写され、やがて目も眩む原光に参入してゆく。最終楽章のなかで第3楽章の闇の部分が一時的に戻ってくる点、ピッコロが用いられる(神の使いのハトの鳴き声を擬す)点も作曲法上歴史的である。第4楽章は、光、歓び、摂理、すべてを包含する絶対的神性、いわゆる真・善・美を体現しようとしている。
注)<ハイドン『天地創造』( Die Schopfung)のベートーヴェン『第九』への影響>
(1)『第九』フィナーレの厳かな中間部の、「創造主(Schopfer)を感じられるか?世界よ(Welt)!」の部分が想起されよう。「世界(Welt)」のみトロンボーンも加わった突然の最強音のハ長調和音で強調される。文脈では人類を指し、前述の第24曲:人類の創造も想起されるが、トロンボーン使用と突然の最強音を鑑みるとやはり第1曲の光の創造がベートーヴェンの念頭にあると思われる。
(2)パラダイスでの二重唱をハ長調で歌ったアダムとイヴであるが、禁断のりんごを食べた後、即ち『天地創造』の最終曲はなんと変ロ長調で終わる。変ロ音が神界から堕ち煩悩に満ちた人類を象徴すると考えられる。『第九』では、ニ短調の曲にしては異例の変ロ長調・変ロ音が全楽章を通して強調される。第3楽章が変ロ長調で書かれ、煉獄を思わせる最終楽章冒頭は、変ロ音とイ音の強烈なぶつかり合いで開始される。同じくフィナーレのテナー・ソロ、男性合唱による戦場への行進や、最晩年の作品『荘厳ミサ』の内的・外的戦いの場面でも変ロ長調が使われたのは偶然ではあるまい。煩悩による内的葛藤とその克服は、人類にとって天地創造以来永遠の課題であり続けている。
2006年5月19日 セントラル愛知交響楽団定期演奏会プログラムの曲目解説として書かれたものです。