エッセイ

おしし様

幼い頃から「三国の男には娘を嫁にやるな」という言い回しを度々耳にした。私の祖父は、明治末まで北前船の船頭・船主として年の半分は家を空けた。

私の在所、三国町崎は北前船乗員のベッドタウンで、家に残る女達は夫が船上の間は畳を上げて寝たという。船頭は、酒田、下関等に着くと、袴(はかま)・白足袋の正装で、沖合から小舟で港に迎えられ、待ちうける商人達と、積み荷をめぐって、兜町さながらの取り引きに入るのであった。



こうした土地柄ゆえか、少さい時から人間の力を超えた運命の力、巡り合わせに対する謙虚な気持ちは、自然に身についていたと思う。崎から眺めると鯨が潮を吹いた様に見える雄島は、航海安全の守り神として何百年もの間、一帯の信仰を集めてきた。
そもそも崎は、嵩という集落から一番サキに海岸線に移住した集落だという古い言い伝えがある。そのためか、雄島の大湊神社のご神体は、毎年三月二十日お神輿(みこし)に担がれ各在所を通って嵩へ里帰りする。

我が家はその「おしし様」が一休みされる場所の一つで、当日は屋敷を清めお酒を供えて、奥座敷に「おしし様」をお迎えする。そして松村正祀宮司から機知に富んだお話を伺うのが、一家の大きな楽しみである。

移民・開拓者の国アメリカとカナダで生活してみて、「おしし様」には、単なるしきたりを超えた、祖先・自然界への温かい尊厳な思いが込められている事を痛感する。(1993年)

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