幼い頃から「三国の男には娘を嫁にやるな」という言い回しを度々耳にした。私の祖父は、明治末まで北前船の船頭・船主として年の半分は家を空けた。 私の在所、三国町崎は北前船乗員のベッドタウンで、家に残る女達は夫が船上の間は畳を上げて寝たという。船頭は、酒田、下関等に着くと、袴(はかま)・白足袋の正装で、沖合から小舟で港に迎えられ、待ちうける商人達と、積み荷をめぐって、兜町さながらの取り引きに入るのであった。