エッセイ

イエペス

先日、大阪ザ・シンフォニー・ホールでクラシック・ギターの至宝、ナルシソ・イエペス氏と協演した。映画「禁じられた遊び」で一躍有名になった巨匠も今や大変な高齢で、大阪センチュリー交響楽団の練習場にも、歩くのがやっとという感じで現れた。
ところが、協奏曲が始まるや、正確無比、スペインの血潮溢(あふ)れる演奏で我々を感嘆させる。時々片手をちょっと挙げてオーケストラを止め、「ここは心臓がドクン、ドクンと脈打つように」など適切なアドバイスを与えてくれる。我々は彼のか細いかすれた声を、神の啓示を仰ぐような心地で聞いた。



ギターの音量は、ピアノやヴァイオリンとは格段に小さく、マイクを使うことが多い。マイクが必要かどうか聞くと、「いらない。私は三つの場合のみマイクをお願いすることにしている。ホールの音響が劣悪なとき、オーケストラが下手なとき、そして指揮者がひどいときだけさ」と、私にウィンクして言う。

本番では、イエペス氏は独奏曲五曲とオーケストラとの協奏曲二曲を深い味わいで聴かせ、超満員の聴衆はもとより、楽員、指揮台の私も胸がつまった。最後の「アランフェス協奏曲」を終え、「本当に疲れた。アンコールは出来ない」と喘(あえ)ぎながら言っていた彼も、どうしても鳴り止まぬ拍手に、ついに小さな曲をアンコールとして演奏し、会場は不思議な静寂と感動に包まれた。(1993年)

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