エッセイ

上坂治先生のこと



   テレビで観たカラヤンに魅せられ指揮者になろうと決意したのは、4、5歳の時でした。そんな子供は珍しかったと思いますが、それ以来ずっと公言していましたから、小学生の時には校内行事や連合音楽会、卒業式などで指揮させてもらえました。指揮者になる夢がかなうきっかけとなったのが、進明中学校吹奏楽部の顧問をしておられた上坂治先生との出会いです。当時は、それこそ運動部の乗りで、上坂先生のご指導のもと早朝6時半から夜暗くなるまで部活に全霊を打ち込んでいました。夏休みには竹田や一光(いかり)で丸一日音楽漬けの合宿が行われ、最終日の夜村民の方々への野外コンサートでとても喜んで頂いた事が美しい夜空とともに大切な思い出になっています。演奏によって人に歓びと癒しを与えることが出来るんだと実感できた初めての経験でした。3年生の時にはFBCコンクールで最優秀賞を3年ぶりで奪還するなど、目標へ向けての努力・達成感も経験させて戴きました。

   「断崖を登るようなものだが、やるなら後悔のないよう頑張れ。」中学3年生の7月、翌年1月に迫った東京芸大附属音楽高校の試験に挑戦したいと思い切って打ち明けた私を、上坂治先生は真正面から受け止めてくれました。何しろ「芸高」は皆幼少の頃から英才教育で目指す全科あわせて40名の「狭き門」なのです。上坂先生は私と一緒に夜行列車で東京まで赴き、聴音、実技などの諸先生方を紹介してくださいました。車中硬い座席と不安・緊張で眠れぬ私に上坂先生は、福井大学オーケストラの創立メンバーとしての苦労話、チェロをかついで東京に夜行列車でレッスンを受けに行った思い出話等をしてくださいました。芸高入試まで半年足らず。毎週末東京へレッスンに通う傍ら、上坂先生には夜遅くまでご自宅でピアノや聴音の特訓をしていただきました。授業と吹奏楽部のご指導の後でさぞお疲れでしたでしょうし、奥様はじめご家族とのプライベートなお時間まで頂戴していたのだと今思い返されまして、頭が下がります。

「指揮者になるんだったら遠回りしてみなさい。」との芸大教官達の熱心な助言に従い芸大附属高校の入学は辞退することになりましたが、首席合格という成果は私の大きな自信となりました。そして指揮者への道が本当に開けていったのです。上坂先生、有難うございました。「小松君、元気か。」「昔一緒にやったあの曲、懐かしいな。良かった。」上坂先生は私の福井での演奏会にはいつも来られて、感想や暖かい励ましの言葉をかけてくださいます。その度に、私はイガグリ頭の少年に戻った心地がして夜行列車や夜空が目に浮かび、真摯で暖かい生涯の恩師に出会えたわが身の幸せを感じます。

(このエッセーは、福井新聞社発行『Fu』誌 2006年11月号 「あの人のこと」欄用に書かれたものです。)

 





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