小曽根真とラプソディー・イン・ブルーで初共演して意気投合し、翌97年の武生国際音楽祭では、ベリー・スナイダー・イーストマン音楽院教授とともにモーツアルトの『2台のピアノの為の協奏曲』を弾いてもらった。リハーサル初日からオケ・メンバーも感動し、その衝撃的な演奏は今も語り継がれている。
スナイダー・小曽根の友情はその後も育まれ、2004年秋には短期間ながら真さんがスナイダー教室の「生徒」としてイーストマンに留学すると聞く。バーボンを片手に音楽を語り合うそうだ。
2001年PGAソニー・オープン(ハワイ)での小曽根・ウォルターズの共演も目撃できた。合わせる毎に全く変わって行く二人の音楽的掛け合いは、ホノルルのジャズ・バーに場所を移しても夜明けまで続き、贅沢な思いを味わった。畏友小曽根真とクリスティン・ウォルターズ、そしてセントラル愛知交響楽団(CASO)の仲間とともに、今日はそうした悦びを多くの皆さんに味わっていただけるのが、大きな歓びである。 本格的なアメリカン・スタイルの演奏会の醍醐味を満喫していただきたい。
そもそも音楽監督の役目は、上記のような縁結びの神様の役割もあるが、多岐に渉る聴衆のニーズを柔軟・的確に把握しながら、ジャンルに拘らず最高のものを届ける、言わばシェフ(料理長)のようなものであろう。
2004年度のプログラムは、ベートーベン、ブラームス、『第9』はもとより、後期ロマン派、笙(宮田まゆみ)、ヴォ−カル辛島美登里と紺野美紗子を迎えての初のクリスマスコンサートなど、日本オーケストラ界の最先端を行くと自負している。そして、特筆すべきが楽員達の創意工夫に満ちた教育・スクールコンサートである。
私は2003年3月17日、大分県南海郡本庄村の文化庁派遣コンサートでCASOと偶然初顔合わせした。
緑に囲まれた小中あわせて90名位の過疎の村で、二日間心をこめて子供を指導・合奏し笑わせる団員達の姿に私は驚き涙が出た。その後数週間も経たずしてCASOから就任依頼を受け、再び驚いた。通常は定期演奏会を経たりして数年がかりのプロセスであるからだ。
あれだけ真摯に音楽に打ち込む団員達ならば、ジャンル・スタイルの違いに拘わらず、『本物』を直截に届けるという私の信念にも、快く共鳴してくれるのではないかと感じた。曇りのない眼で高くそびえたつ目指すべき山頂を見据えながら、一歩一歩挑戦して行く演奏者の姿なくして聴衆は演奏会に足を運ばないであろう。 本日志を同じくする私達同胞の新たな船出の日として皆様に祝って戴けるならば幸せである。
(文中敬称略)
2004年5月22日
セントラル愛知交響楽団音楽監督
小松長生
高嶋耕ニさん 寄贈文「サウンドが変わる瞬間」
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